「天罰発言」事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 21:11 UTC 版)
戦争末期の1945年6月11日の衆議院戦時緊急措置法案(政府提出)委員会で質問に立った際、2日前の本会議で鈴木貫太郎総理大臣が演説の中で、1918年の訪米時に「太平洋は名の如く平和の洋にして日米交易のために天の与えたる恩恵である、もしこれを軍隊搬送のために用うるが如きことあらば、必ずや両国ともに天罰を受くべしと警告した」というエピソードを紹介したことについて、国民は詔勅にある「天佑」という言葉を信じて戦っているのだから、天罰を受けるという考えは毛頭持っていないと思う」という見地から、天罰を受けるという言葉を残すことは戦争を遂行する国民に悪い影響を与える懸念があるとして、それを打ち消す釈明を鈴木に求めた。この際小山は「私は言葉の咎め立てなんということは大嫌いな人間なんです。(中略)人の言質を取った、挙足を取ったということはありませぬ。だから私はそのことを言うのではない」と述べている。だが、鈴木の釈明に対して議場は騒然となり、小山も「聞き逃すことはできない」と述べ、6時間もの休憩を取ってから再開された。鈴木は前の釈明を取り消して改めて見解を述べたが、小山は鈴木の答弁内容に納得せず、再度の返答を求めた。政府がこれ以上答弁しないと委員長の三好英之に伝えられると、答弁すらできない内閣に質問はしないと述べてそれ以上の質問を打ち切り退席した(天罰発言事件)。 小山は発言の最後で「総理大臣に聞いていただきたいことがある」と切り出し、敗勢濃厚なときに信頼できる内閣がなければ国民は戦えないのになぜ小手先の答弁をするのかと述べ、「国民は真実を求めているんです。真実に飢えておる。ごまかしばかりで勝った勝ったと言いながら、沖縄まで失わなければならぬような、そういうごまかしは国民は求めておりませぬ。どうかもしこの重大なる時局を担当するとするならば、本当に担当のできる内閣が日本に出てもらいたいと私は思っております」と政府の姿勢を痛烈に批判した。 小山の所属する護国同志会は、鈴木の演説や小山の質問に対する答弁を「不忠不信」と批判する声明書を発表しているが、これは徹底抗戦の立場からの倒閣運動の一環とみられている。
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