「フゴッペ遺跡」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 02:07 UTC 版)
「北海道異体文字」も参照 「フゴッペ洞窟」ではなく「フゴッペ遺跡」と呼ばれる場合には、昭和2年に鉄道工事中に発見された古代文字様の壁画と石偶を表す場合があるので、混同しないよう注意が必要である。 第二次世界大戦前に発見されたフゴッペの遺跡は『小樽新聞』昭和2年11月14日によると、鉄道工事作業員の宮本義明によって発見された。鉄道敷設に際して、フゴッペの丸山を掘削して、2つに分けたのだが、その壁面に古代文字のような壁画と石偶のようなものが出現し、話題となった。 違星北斗の論文は、この「古代文字」について論じたものである。この古代文字に関しては、小樽高等商業学校の西田彰三教授によって「この遺跡はアイヌのものである」と発表されたが、アイヌ出身である違星北斗による「この遺跡はアイヌのものではない、現代人によるニセモノではないか」という反論が、同じく『小樽新聞』に掲載された「疑ふべきフゴツペの遺跡」である。 小樽文学館の展示物によると、『小樽新聞』では発見は大正14年であるとなっているようだが、昭和2年の間違いであろうと思われる。戦前の『余市郷土誌』では周辺の農夫が客土用の土を採取している際に発見となっているようだが、これも疑わしい。 北斗の「フゴッペの遺跡」と国の史跡に指定された「フゴッペ洞窟」は厳密にいえば異なるものであるが、北斗の論文には、遺跡の場所、函館本線からの距離、周囲の状況が明示されている。まさしく現在の「フゴッペ洞窟」の裏側の壁面であり、2つの遺跡にまったく関連性がないとは考えにくい。 現在、戦前のフゴッペの壁画は現存しない。違星北斗同様、金田一京助も戦前のフゴッペ壁画がニセモノであると断定し、昭和天皇に尋ねられた際にも知人のアイヌが少年時代に描いたイタズラ書きであると伝えたという。そのためか、適切な保存処置も行われず、朽ちるがままにされてしまったのである。
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