「あるがまま」概念の留意点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 15:21 UTC 版)
「森田療法」の記事における「「あるがまま」概念の留意点」の解説
森田療法では、治療の要点を表す言葉として「あるがまま」という表現がしばしば用いられる。森田療法の創始者である森田正馬自身、「治療の主眼については、言語ではいろいろと言い表し方もあるけれども、詮じつめれば『あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない』とかいうことになる。」「ことさらに、そのままになろうとか、心頭滅却しようとかすれば、それはすでにそのままでもなく、心頭滅却でもない。」「当然とも、不当然とも、また思い捨てるとも、捨てぬとも、何とも思わないからである。そのままである。あるがままである。」などと述べるのがその例である。 一方で、このような「あるがまま」は一般的な意味とはやや異なっているため、森田療法における病態把握・アプローチを全体的に理解しないまま、「あるがまま」の言葉やイメージが表面的な形で一人歩きすると、森田療法の誤解や誤ったメッセージにつながりかねないため注意が必要である。森田正馬自身も、「暑さでも対人恐怖でも、皆受け入れるとか任せるとかあるがままとかいったら、その一言で苦しくなる。」「強迫観念の本を読んで、『あるがまま』とか、『なりきる』とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が『あるがまま』になろうとしては、それは『求めんとすれば得られず』で、既に『あるがまま』ではない。」など、患者が「あるがまま」の趣旨を誤解し、「あるがまま」の状態を意識的に作ろうとして、かえって本来の「あるがまま」から遠ざかってしまう例を紹介している。森田療法を専門とする北西憲二も、「あるがまま」という言葉がさまざまに解釈されたことによって、誤解や偏見が生じたことを指摘しているほか、鈴木知準は「あるがまま」という言葉は使わない方が良いとし、立松一徳もとらわれの強い患者に「あるがまま」という言葉を使うのは禁忌とした。 また、森田療法における「あるがまま」という言葉は、「治療過程」において、心に湧いてくる不安や緊張などを意識的に何とかしようとせず、そのまま(=あるがまま)にしておいて良いという「症状受容」の側面のほか、「治療目標」としての「生の欲望の(あるがままの)発揮」という側面で用いられることもある。「あるがまま」概念が、森田療法の中でも多義性を有することも、「あるがまま」という言葉が一人歩きのうちに誤解を招く1要因になっている。 岩田真理は、森田正馬が使う言葉の多義性や曖昧さを指摘しており、例として「ものそのものになる」「恐怖突入」「あるがまま」「自然服従」という言葉が同じ意味で使われている場合があるほか、「なすべきをなす」との語について、恐怖で動けない人に対して恐怖の感情はそのままにして実生活に取り組むよう促す言葉ではあるものの、教条的にどんな状況でもやるべきことをやらなければならないという押しつけの意味に誤解されると、患者をかえって混乱させてしまう可能性があるため留意が必要と述べている。また、立松一徳も「目的本位に」「なすべきことをなせ」「恐怖突入」という言葉を治療中に使うことは禁忌で、これらの言葉が患者の治療抵抗を強化したり副作用の原因になる可能性を指摘している。
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