HIPPY
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 16:23 UTC 版)
来歴
7歳の頃からピアノを9年間習っていた[3]。同時に幼少時より根っからの野球少年でもあり、甲子園を目指すが、崇徳高校に入学してすぐ怪我で野球を断念し野球部を1年の終わりの頃に退部[3]。その後、同校のグリークラブ(男声合唱部)に入部、後に全国大会に進んだこともある[3]。
大学時代の1999年7月、maegashiraを結成しボーカルを務める。以降、広島市を拠点に活動していたが、2011年8月、ライブツアー「僕らの明るい解散計画 FINAL 3DAYS LIVE 2011」最終日の広島クラブクアトロをもってmaegashira解散。
2011年9月、HIPPYとしてソロに転向しライブ活動開始[4]。
2013年4月15日より、事務所ランページに所属。
2015年、クラウンレコード(CROWN VenuS)よりメジャーデビュー[5]。同年4月15日、ミニアルバム『I’m HIPPY』をリリースしメジャーデビューし、同29日にはmaegashiraの解散ライブをした場所である広島クラブクアトロでソロ初となるワンマンライブを開催。
2015年12月9日、1stフルアルバム『HIPPY DO IT !!』をリリース[6]。
2016年8月24日、ミニアルバム『幸カロリー 〜意識の高いデブ〜』をリリース。
2017年3月29日、2ndフルアルバム『HomeBase 〜ありがとう〜』をリリース。収録された「君に捧げる応援歌」は多くのプロ野球チーム選手の登場曲に使用されており、2020年度プロ野球選手の登場曲タイトル別ランキングでは1位を獲得した。YouTubeの本人公式アカウントではMVが1000万回再生、TikTokで1億回再生を超えるなど、心に響く応援ソングとしてSNSを中心に広がりを見せており、本人の代表曲にもなっている。
2017年7月、冨恵洋次郎から「原爆の語り部 被爆体験者の証言の会」を引き継いで毎月6日に開催している[7]。
2022年4月23日、メジャーデビュー7周年を記念して初のホールワンマンライブ「ヒーローアイランド計画7~DEKIRU~」を東広島芸術文化ホールくららで開催。同年7月17日には東京キネマ倶楽部でもワンマンライブを開催した。
2023年は横浜DeNAベイスターズ、WBC日本代表の牧秀悟の登場曲を自身初の書き下ろしで提供した。同年3月6日、TBS「ラヴィット!」に出演、生歌唱。
近年では、応援ソングとして若年層からの支持を多く集めている。
- ^ “広島から“超大物”シンガー登場!これだけは誰にも負けないHIPPYのカープ愛エピソードBEST3”. rankingbox (2015年4月28日). 2018年8月20日閲覧。
- ^ “一度食べたら止まらないものばかり!?地元LOVE♡のHIPPYがオススメする広島名物BEST3”. rankingbox (2015年4月29日). 2015年8月10日閲覧。
- ^ a b c d “広島人だからこそ伝えられるものが、HIPPY 新譜に込めた郷土愛 四季折々の変化を表現した曲順”. MusicVoice (2017年3月30日). 2018年8月20日閲覧。
- ^ “HIPPYオフィシャルブログ言いたいことはここでYeah!!自己紹介”. 2015年1月15日閲覧。
- ^ “新レーベル「CROWN VenuS」のお披露目ライヴに蝶野正洋が登場!? 4月17日”. 2015年4月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “HIPPY、1stフルアルバム『HIPPY DO IT!!』アートワーク公開”. Yahoo!ニュース. BARKS (Yahoo Japan). (2015年10月22日). オリジナルの2015年10月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “広島│原爆の語り部~被爆体験者の証言の会~詳細”. 原爆の語り部 被爆体験者の証言の会. 2018年7月30日閲覧。
- ^ 「HIPPYさん」が国歌斉唱に登場! - 広島東洋カープ公式サイト(2014年10月9日時点のアーカイブ)
- ^ “スケジュール‐HIPPY日和 〜初!生バンドHIPPY Official Website|スケジュール‐HIPPY日和 〜初!生バンド”. HIPPY Official Website. 2018年7月30日閲覧。
- ^ 横山雄二『生涯不良』(ザメディアジョン).2018年10月1日閲覧。
- ^ “Who is No.1?! BEGIRAGONSES投票結果発表【栄冠は誰の手に…】”. 2015年11月13日閲覧。
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