1994年のル・マン24時間レース 1994年のル・マン24時間レースの概要

1994年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 20:31 UTC 版)

1994年のル・マン24時間レース
前年: 1993 翌年: 1995
1994年のコース

概要

当時のル・マン24時間レースは規定の変遷期にあり、グループCのNA車は姿を消した[3]

エントリー台数を確保するためにプロトタイプカーとGTカーを両方受け入れることにした[1]

LMP1

1990年までのグループCである[4]。プロトタイプカーの性能を制限するため[1]の規定が設けられ、実際グループCのプロトタイプカーは全盛期との比較で20秒以上遅くなった[1]ダウンフォースを小さくするためフラットボトムが義務づけられ[4]、カーボンブレーキ禁止[4]、最低車両重量950kg[4]、スキッドブロックの装着により空力性能を抑制[1]、燃料タンクを80リットルに制限[1][4]吸気リストリクター採用[1][4]により500-550PS[4]に出力抑制された[1][4]

トヨタワークス参加ではなかった[3]が、グループCカーが出場できる最終の機会[3]であり、トヨタ・94C-V[1]サードトラストに1台ずつ貸与[4]され、参戦した。ル・マン24時間レースに勝利する絶好の機会でもあり[3]、勝利に期待するトヨタ首脳も姿を見せた[3]。吸気リストリクターを装着されエンジン出力は抑えられた[3]が、熟成を進め[3]て信頼性の心配はなかった[4]

この他ポルシェ・962Cやその改造車など7台、計9台が参戦した[4]

LMP2

フランス西部自動車クラブが設定したコンストラクター製ローコスト軽量車で、エンジンはフランス西部自動車クラブ公認の6気筒以下生産車エンジンに限定され、カーボンチタンの使用が制限されるなど細かい規定がある[4]。出場は3台に留まり将来の成長は見込めなかった[4]

GT1

量産されている車両が原則[4]で、同一メーカーのものならエンジン自由[4]、サスペンションも同一形式内での改造自由[4]、最低重量1,000kg[4]、燃料タンク120リットル以下[4]である。エンジン排気量や過給器の有無によりリストリクターの直径が決定され、出力は600-650PSに抑えられた[4]

ポルシェは当時ポルシェ・962Cを公道向けに改造していたダウアー・シュポルトワーゲンに目をつけ、所有していたシャシを提供してダウアー・962LMを製作させた。GT1として参戦するには1台でもいいので公道走行可能なナンバー取得車両があればよく、ダウアー・962LMは何の問題もなくGT1カーとして認められた[1]。ポルシェのシャシ提供と要請を受けさらに2台が製作され、再度レーシングカーに仕立て直され、実質ポルシェワークスのル・マン・ポルシェ・チーム/ヨースト・レーシングチームで出場した[1]

この他ヴェンチュリー・600LM、ブガッティ・EB110フェラーリ・F40ポルシェ・911など計12台が参戦した[4]

GT2

GT1より制約が厳しく、これまでのGTカークラスに似ていた[4]。エンジンの換装は許されず、最低車両重量は1,050kg、タイヤサイズも制約があった[4]。出力450馬力程度。燃料タンク120L。

ポルシェ・911ホンダ・NSXロータス・エスプリフェラーリ・348LM、ヴェンチュリー・400GTRなど21台が出場した[4]

特に注目されたのはホンダ・NSXで、ホンダでチューニングされ、マシン製作はイギリスのTCプロトタイプ、レース運営はクレマー・レーシングと国際的なチームで、GT2クラス優勝を目標としていた[4]。クレマー・ホンダ・レーシングからアルミン・ハーネ/ベルトラン・ガショー/クリストフ・ブシュー[4]清水和夫/フィリップ・ファーブル/岡田秀樹[4]。もう1台はチーム国光とのジョイントチームであるクレマー・ホンダ・チーム国光からのエントリーで、高橋国光/土屋圭市/飯田章[4]であった。

IMSA GTS

74号車 Mazda RX-7 GTO

IMSAで行われてるスペースフレームのシルエットフォーミュラである。GT1と同一の吸気リストリクター装着が義務づけられ、エンジン出力は650PS以下に抑えられ、最低重量は1,000kg、燃料タンク100リットルとなっている[4]

日産・300ZXマツダ・RX-7の3台が出場した[4]

予選

ポルシェ・962Cを改造したクラージュ・C32LMが3分51秒05で1位となった[4]。これは前年プジョー・905が出した記録より30秒近くも遅い[4]。8位までのタイム差は4秒しかなく、性能の拮抗には成功しているように思われた[4]

優勝を争うと思われていたサードトヨタ・94C-Vはダウンフォースが減少したため走りやすいセッティングにする調整に専念して4位[4]ダウアー・962LMは5位と7位であった[4]


  1. ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.147は「残り2時間のところ」とする。
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『Racing On』466号 pp.63-67。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.224-231「資料2」。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.155-220「ルマン24時間レース挑戦 日本チーム」。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。


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