1976年F1世界選手権イン・ジャパン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 02:01 UTC 版)
エピソード
決勝の模様はTBS系列でテレビ放送された。午後3時から録画映像で放送する予定だったが、スタート順延のため結果的に生中継となった[13]。
当初、ファステストラップ記録は長谷見昌弘(コジマ)の1分18秒23(25周目)と発表されたが、数日後に計時ミスであることが判明。ジャック・ラフィット(リジェ)の1分19秒97(70周目)であるとの訂正リリースが発布された[14]。F1公式サイトでは長らく長谷見の記録がファステストラップとして扱われていたが、現在はラフィットに変更されている[15]。
スポーツニッポン新聞社はF1CAと3年間開催の約束を結んでいたが、1974年のデモンストレーション走行と本大会で6千万円の赤字を計上[16]。1977年の開催が役員会で否決され、再契約は行わなかった。1977年はJAFを中心として設立された日本モータースポーツ協会が主催し、正式に「F1日本グランプリ」の名を使用した。
タイトルを失う結果となったラウダの棄権について、当時フェラーリのチームマネージャーだったダニエル・オーデットは「F1CA会長バーニー・エクレストンがテレビやスポンサーの契約のためにレース決行を訴えた」「ドライバー全員がスタート後数周してから棄権することで同意していたのに、マクラーレンはハントに走り続けるよう命令した」という趣旨の主張をしている[17]。
データ
- 大会
-
- 大会名 - F1世界選手権イン・ジャパン
- 開催日 - 1976年10月22日 - 10月24日
- 開催地 - 富士スピードウェイ
- 主催 - スポーツニッポン新聞社/毎日新聞社/富士スピードウェイ
- レース距離 - 318.207km(4.359km×73LAP)
- 決勝日観客 - 72,000人
- 決勝日天候 - 雨のち晴れ、気温18.2度、湿度91%、東の風0.2m/s
- 日程
-
- 10月22日(金曜日)
- 公式予選1回目 午前10時 - 午前11時30分
- 公式予選2回目 午後1時30分 - 午後2時30分
- 10月23日(土曜日)
- フリープラクティス 午前10時 - 午前11時30分
- 公式予選3回目 午後2時 - 午後3時
- 10月24日(日曜日)
- フリープラクティス 午前8時30分 - 午前9時
- 決勝スタート 午後3時9分 (予定では午後1時30分)
- 10月22日(金曜日)
- 記録
-
- ポールポジション - マリオ・アンドレッティ(ロータス・フォード) 1分12秒77
- 優勝 - マリオ・アンドレッティ(ロータス・フォード) 1時間43分58秒86(平均速度183.615km/h)
- ファステストラップ - ジャック・ラフィット(リジェ・マトラ) 1分19秒97(LAP 70)
- ラップリーダー - ジェームス・ハント(LAP1 - 61)→パトリック・ドゥパイエ(LAP62 - 63)→マリオ・アンドレッティ(LAP64 - 73)
映画
2013年の映画"Rush"(邦題:『ラッシュ/プライドと友情』)は、1976年シーズンのハントとラウダのライバル関係を描いたもので、富士スピードウェイでの最終戦も再現されている(劇中の表記は"Japanese Grand Prix")。ただし、富士山のカットはあるものの、レースシーンの撮影には富士スピードウェイは使用されていない。
劇中ではレース終盤のクライマックスパートが映画用に脚色されている。実際のレースでは雨が上がってドライ路面になり、ハントはピットインして摩耗したウェットタイヤをスリックタイヤに交換した。映画では最後まで雨が降り続いており、ハントはピットでウェットからウェットに交換している。
- ^ エマーソン・フィッティパルディ(マクラーレン)、ロニー・ピーターソン(ロータス)、カルロス・ロイテマン(ブラバム)、ジェームス・ハント(ヘスケス)、パトリック・ドゥパイエ(ティレル)。
- ^ 山口正巳 (2019年12月31日). “思い出のグランプリ(3)初めて観たF1バトル?1974年F1デモラン”. STINGER. 2021年11月28日閲覧。
- ^ “1976 Japanese Grand Prix” (英語). Formula One World Championship Limited. 2017年1月23日閲覧。
- ^ 『GRAND PRIX EXPRESS-ROUND15 JAPAN』 山海堂、1990年、29頁。
- ^ 『AUTO SPORT 別冊 F-1世界選手権 in Japan特集号』三栄書房、1976年、p.26頁。
- ^ a b 『AUTO SPORT 別冊 F-1世界選手権 in Japan特集号』、p.19頁。
- ^ 『レーシングオン ハコスカGT-R特集号』2010年、p.138頁。ISBN 978-4-7796-0813-1。
- ^ 『日本の名レース100選 Vol.001 '76 F1イン・ジャパン-日本初のF1GP開催』 イデア〈AUTO SPORT Archives〉、2006年、58 - 59頁。
- ^ 当時のF1は全戦テレビ中継されていなかったが、この1戦はタイトル決定戦とあって12か国へ衛星中継された。
- ^ a b c “Great Sporting Moments: James Hunt wins the World Championship, Japanese Grand Prix, Fuji, 1976”. The Independent (2009年7月14日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ 『日本の名レース100選 Vol.001 '76 F1イン・ジャパン-日本初のF1GP開催』、69頁。
- ^ 『日本の名レース100選 Vol.001 '76 F1イン・ジャパン-日本初のF1GP開催』、60頁。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ(All about Formula One Grand Prix in) 』 東邦出版、2008年、14頁。
- ^ 『日本の名レース100選 Vol.001 '76 F1イン・ジャパン-日本初のF1GP開催』、77頁。
- ^ “1976 Japanese Grand Prix - FASTEST LAPS”. Formula One World Championship Limited. 2017年1月23日閲覧。
- ^ 『F1倶楽部 Vol.7-ニッポンのF1』 双葉社、1994年、57頁。
- ^ “Ferrari fury still echoes around revamped Fuji” (英語). Reutors.com.UK. 2010年5月11日閲覧。
- 1976年F1世界選手権イン・ジャパンのページへのリンク