1970 FIFAワールドカップ 1970 FIFAワールドカップの概要

1970 FIFAワールドカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 23:55 UTC 版)

1970 FIFAワールドカップ
1970 FIFA World Cup
Copa Mundial de Fútbol de 1970

イングランド戦のブラジル代表
大会概要
開催国 メキシコ
日程 1970年5月31日 - 6月21日
チーム数 16 (5連盟)
開催地数(5都市)
大会結果
優勝 ブラジル (3回目)
準優勝 イタリア
3位 西ドイツ
4位 ウルグアイ
大会統計
試合数 32試合
ゴール数 95点
(1試合平均 2.97点)
総入場者数 1,603,975人
(1試合平均 50,124人)
得点王 ゲルト・ミュラー(10点)
 < 19661974

この大会でブラジルが3度目の優勝を飾り、規則により当時の「ジュール・リメ杯」の永劫所有権を獲得した。しかし、その後このカップは盗難にあってしまい、次の1974年西ドイツ大会からは、トロフィーの名称も現在の「FIFAワールドカップ」に変更された。なお、ジュール・リメ杯盗難事件では、犯人は逮捕・起訴され有罪となったが、カップは現在もなお行方知れずである。

予選

出場国

出場選手は1970 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟 出場
枠数
予選
予選順位
出場国・地域 出場回数
CONCACAF 1+1 開催国 メキシコ 6大会連続7回目
最終予選 1位 エルサルバドル 初出場
UEFA 1+8 前回優勝国 イングランド 6大会連続6回目
欧州予選 1組 1位 ルーマニア 6大会ぶり4回目
2組 1位 チェコスロバキア 2大会ぶり6回目
3組 1位 イタリア 3大会連続7回目
4組 1位 ソビエト連邦 4大会連続4回目
5組 1位 スウェーデン 3大会ぶり5回目
6組 1位 ベルギー 4大会ぶり5回目
7組 1位 西ドイツ 5大会連続7回目[1]
8組 1位 ブルガリア 3大会連続3回目
CONMEBOL 3 南米予選 1組 1位 ペルー 8大会ぶり2回目
2組 1位 ブラジル 9大会連続9回目
3組 1位 ウルグアイ 3大会連続6回目
CAF 1 最終予選 1位 モロッコ 初出場
AFC/OFC 1 最終予選 1位 イスラエル 初出場

本大会

概要

前回大会と同じ開催方式で行われた。各地区予選を突破した16チームを4ヶ国ずつ4つのグループに分け、各グループの上位2チームとなった8チームが決勝トーナメントに進出する。

今大会では大きなターニングポイントとなる変更点がいくつか見られた。まず、史上初の高地での開催であることに加え、TVの国際生中継がヨーロッパのゴールデンタイムとなるよう試合時間が酷暑の日中に予定されたことで選手の激しい消耗を懸念したFIFAはプレーの中断時に限り水分の補給を認めた。また高地の薄い空気を考慮して毎試合2名までの選手交代も初めて認められた。 これらは今大会の暫定的な処置のみならず以降の大会でも踏襲されるようになる。前大会の目に余るラフプレーや疑惑の声が上がったジャッジの問題に関する反省から、それまでは口頭だった選手への警告や退場を目に見える形で提示すべくレッドカードイエローカードが導入されたのも今回からである。また、それまで真っ白か茶色だったFIFA公式のサッカーボールがTV中継での見易さを配慮して今大会から馴染み深い白と黒の亀甲模様の「テルスター (サッカー)」に変わった。

この大会は「ペレのための大会」であった。ペレは全ての試合で安定したパフォーマンスを見せ、このときにMVP(ゴールデンボール賞)の制度があったとしたら受賞間違いなしといえるほどの活躍であった。また、ブラジル代表では、ジャイルジーニョロベルト・リベリーノトスタンジェルソンクロドアウドなど、他のチームであればエースを担えるメンバーがペレの周りを固めていた。ジャイルジーニョは大会を通して好調を維持し、全試合で得点という快挙を成し遂げた。ブラジルは、守備の面でも、若きキャプテンであるカルロス・アウベルト中心にまとまっていた。ブラジルは南米予選から本大会決勝まで引き分け無しの全勝での優勝であり、ワールドカップにおいてこの快挙を達成したのは今大会のブラジルのみである。ちなみに、決勝戦でのペレのゴールはワールドカップにおけるブラジル代表の100点目である。

その他、準決勝の西ドイツイタリア戦も「アステカの死闘」と呼ばれ名勝負と称されている。肩を脱臼したものの交代枠を使い切ったために、腕をテーピングで固定してプレーし続けるフランツ・ベッケンバウアーの姿がこの試合の過酷さを象徴する[2]。しかし、イタリアはこの熱戦を制したものの、力を使い果たしたのか決勝ではブラジルに大敗を喫することとなる。


  1. ^ 旧ドイツ時代を含む。
  2. ^ ベッケンバウアー自身は、この試合以上の死闘として1982年スペイン大会準決勝西ドイツ対フランス戦を挙げている


「1970 FIFAワールドカップ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1970 FIFAワールドカップ」の関連用語

1970 FIFAワールドカップのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1970 FIFAワールドカップのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1970 FIFAワールドカップ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS