1952年イギリスグランプリ 1952年イギリスグランプリの概要

1952年イギリスグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:42 UTC 版)

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 1952年イギリスグランプリ
レース詳細
1952年F1世界選手権全8戦の第5戦
シルバーストン・サーキット 1952年-1973年
日程 1952年シーズン第5戦
決勝開催日 7月19日
正式名称 V RAC British Grand Prix
開催地 シルバーストン・サーキット
イギリス ノーサンプトンシャー州
コース 恒久的レース施設
コース長 4.7105 km (2.927 mi)
レース距離 85周 400.307 km (248.739 mi)
決勝日天候 曇り、ドライ
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:50.0
ファステストラップ
ドライバー アルベルト・アスカリ フェラーリ
タイム 1:52.0
決勝順位
優勝
  • アルベルト・アスカリ
フェラーリ
2位 フェラーリ
3位 クーパー-ブリストル

新しいピット設備がウッドコートとコプスの間に建設された。元のピットはアビーとウッドコートの間に位置していた。

レース概要

ジャン・ベーラは一週間前のノンタイトル戦、グランプリ・デ・サーブル=ドロンヌで肩甲骨を骨折、イギリスGPに参加することができなかった。その結果、前戦シムカ・ゴルディーニ・T15をドライブしたモーリス・トランティニアンがベーラのゴルディーニ・T16をシルバーストンでドライブすることとなった。その他ゴルディーニチームはレギュラードライバーのロベール・マンヅォンとプリンス・ビラも投入した。ベルギー人ドライバーのジョニー・クレエは前戦同様「エキュリー・ベルゲ」の名称でプライベート・エントリー、シムカ・ゴルディーニをドライブした。フェラーリも前戦と同じ、表彰台を独占した3名 - アルベルト・アスカリニーノ・ファリーナピエロ・タルッフィ - を投入した。また、多くのプライベーターもフェラーリをドライブ、エキュリー・エスパドンからフィッシャーとヒルト、その他ピーター・ホワイトヘッドとロイ・サルヴァドーリが参加した。HWMはレギュラー2名に地元ドライバーを加えるという方針を継続、ピーター・コリンズとランス・マックリンに加えてダンカン・ハミルトンを起用した。コンノートリー・フランシスエンジンを搭載した車両で4名を起用、マッカルパイン、ダウニング、トンプソン、プーアが参加した。その他にも多くのプライベーターが様々な車両で参加し、その中にはクーパーマセラティが含まれた。

3台のワークスフェラーリはファリーナによって率いられ、予選トップ3を独占、これに加えてマンヅォンがフロントローに並んだ。2列目はダウニングに続いてクーパー-ブリストルのペア、レグ・パーネル、マイク・ホーソーンが並んだ。3列目はコンノートのプーア、トンプソン、ゴルディーニのビラ、HWMのハミルトンが並んだ。

レースはアスカリが初めからリード、全85ラップを首位のまま走行し、3連勝を挙げた。ポールシッターのニーノ・ファリーナは初めの26ラップを2位で走行したが、スパークプラグ交換のためピットインすると順位が落ち、結局6位でフィニッシュ、ポイントを得ることはできなかった。タルッフィはスタートに失敗、第1ラップの終わりまでに9位に沈んだものの、追い上げて2位に浮上、アスカリの一週遅れでフィニッシュした。デニス・プーアはファリーナのピットストップ後3位で走行、燃料補給のためピットインしなければならなかった。そのためホーソーンが3位を引き継ぎ、彼はレースの残り、順位を維持した。彼はタルッフィの一週遅れでフィニッシュし、世界選手権における初の表彰台を獲得した。プーアは4位、チームメイトのエリック・トンプソンが5位に入ってポイントを獲得した[1]

アスカリは優勝とファステストラップで選手権ポイントのリードを再び広げることになった。チームメイトのタルッフィに対して8ポイントの差を付けた。ファリーナはポイントを得ることができず、7ポイント差でタルッフィの後に付けた。

エントリーリスト

No ドライバー チーム コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
1 グラハム・ホワイトヘッド ピーター・ホワイトヘッド アルタ Alta F2 アルタ F2 2.0 L4 D
2 ビル・アストン W.S.アストン アストン-バターワース アストン・NB41 バターワース F4 2.0 F4 D
3 ケネス・マッカルパイン コンノート・エンジニアリング コンノート-リー・フランシス コンノート・A リー・フランシス 2.0 L4 D
4 ケン・ダウニング コンノート-リー・フランシス コンノート・A リー・フランシス 2.0 L4 D
5 エリック・トンプソン コンノート-リー・フランシス コンノート・A リー・フランシス 2.0 L4 D
6 デニス・プーア コンノート-リー・フランシス コンノート・A リー・フランシス 2.0 L4 D
7 デヴィッド・マレー エキュリー・エコッセ クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
8 レグ・パーネル AHM ブライド クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
9 マイク・ホーソーン レスリー・D・ホーソーン クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
10 エリック・ブランドン エキュリー・リッチモンド クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
11 アラン・ブラウン クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
12 スターリング・モス イングリッシュ・レーシング・オートモビルズ Ltd. ERA-ブリストル ERA G ブリストル BS1 2.0 L6 D
14 ロイ・サルヴァドーリ1 G. Caprara フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 D
15 アルベルト・アスカリ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
16 ニーノ・ファリーナ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
17 ピエロ・タルッフィ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
18 ルイ・ロジェ2 エキュリー・ロジェ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 D
19 ルディ・フィッシャー エキュリー・エスパドン フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
20 ペーター・ヒルト フェラーリ フェラーリ・212 フェラーリ 125 F1 1.5 V12 P
21 ピーター・ホワイトヘッド ピーター・ホワイトヘッド フェラーリ フェラーリ・125 フェラーリ 125 F1 1.5 V12 D
22 ケン・ウォートン2 スクーデリア・フラネラ フレイザー・ナッシュ-ブリストル フレイザー・ナッシュ FN48 ブリストル BS1 2.0 L6 D
23 トニー・クルック トニー・クルック フレイザー・ナッシュ-ブリストル フレイザー・ナッシュ 421 ブリストル BS1 2.0 L6 D
24 ロベール・マンヅォン エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
25 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
26 プリンス・ビラ ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
27 ジョニー・クレエ エキュリー・ベルゲ シムカ・ゴルディーニ シムカ・ゴルディーニ T15 ゴルディーニ 1500 1.5 L4 E
28 トニー・ゲイズ トニー・ゲイズ HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
29 ピーター・コリンズ HWモータース HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
30 ダンカン・ハミルトン HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
31 ランス・マックリン HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
32 トゥーロ・デ・グラッフェンリート エンリコ・プラーテ マセラティ-プラーテ マセラティ・4CLT-50 プラーテ 2.0 L4 P
33 ハリー・シェル マセラティ-プラーテ マセラティ・4CLT-50 プラーテ 2.0 L4 P
34 ジノ・ビアンコ エスクーデリア・バンディランテス マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
35 アイテル・カントーニ マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
Sources:[2][3]
^1 - ロイ・サルヴァドーリはフェラーリ14番車で予選と決勝の大半を走行した。ボビー・バイアードも同車のドライバーとしてエントリーしたが、レースでドライブすることは無かった[4]
^2 - ルイ・ロジェとケン・ウォートンはプラクティス前に撤退した[5]

  1. ^ British GP, 1952 Race Report”. Grand Prix.com. 2013年2月2日閲覧。
  2. ^ 1952 British Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月2日閲覧。
  3. ^ 1952 British GP - Entry List”. chicanef1.com. 2014年1月2日閲覧。
  4. ^ Britain 1952 - Race entrants”. statsf1.com. 2014年1月11日閲覧。
  5. ^ Britain 1952 - Result”. statsf1.com. 2014年1月11日閲覧。


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