響きと怒り 概要

響きと怒り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 04:08 UTC 版)

概要

『響きと怒り』は、架空のヨクナパトーファ郡を舞台にしている。この小説は、アメリカ合衆国南部の特権階級だったコンプソン家がその家族と名声の崩壊に苦闘する姿を中心に据えている。4つの部に分かれており、第1部「1928年4月7日」は、33歳の重い知的障害を持ったベンジャミン・"ベンジー"・コンプソンの視点から描かれている。ベンジーの部は、語られている時点が頻繁に変化するため、話の筋を掴むことが難しい叙述法が採用されているのが特徴である。第2部「1910年6月2日」は、ベンジーの長兄クウェンティン・コンプソンの意識に焦点を当てて、その自殺に至る過程が語られている。第3部「1928年4月6日」は、クウェンティンの弟で皮肉屋のジェイソンの観点から書かれている。第4部「1928年4月8日」は、第1部の翌日であり、主に一家の黒人召使のディルシーなどを使って、三人称全知視点から書かれている。この部では、ジェイソンも焦点になっているが、家族全員の思考と行動にも目が注がれている。

表題について

この小説の題は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『マクベス』第5幕第5場にある、マクベスの独白から採られている。

英語(原語)

Told by an idiot, full of 'sound and fury', Signifying nothing — Macbeth、Macbeth by William Shakespeare

日本語訳

白痴(ばか)が話す話だ、騒ぎも意気込みも甚(えら)いが、たはいもないものだ。 — マクベス、坪内逍遙 訳『マクベス』第五幕 第五場[1][2]

「白痴が話す話」という句からもわかる通り、この物語はベンジーから見たコンプソン家の様子から始まる。その概念は、クェンティンやジェイソンにも広がり、その叙述からそれぞれの愚かさが示されていく。さらに重要なことに、伝統的な南部の上流階級の衰退と死、すなわち「塵にまみれて死ぬ道筋」を語っている。最後の「何のとりとめもありはせぬ」が最も意味深長である。フォークナーは、ノーベル文学賞を受賞した時のスピーチで、人は心から来る物、すなわち「普遍的な真実」について書かなければならないと語った。


  1. ^ シエークスピヤ第五幕 第五場」『沙翁傑作集(マクベス)』 10巻、坪内逍遙 訳、早稲田大学出版部、172頁。doi:10.11501/979379https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979379/1092022年11月26日閲覧 
  2. ^ "マクベス:第五幕 第五場". 物語倶楽部. 2004年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2004年9月28日閲覧
  3. ^ フォークナー 1971, p. 421.
  4. ^ フォークナー 1971, p. 334.
  5. ^ フォークナー 1971, p. 551.





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