青山・土器山の戦い 戦後の情勢

青山・土器山の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 23:03 UTC 版)

戦後の情勢

この動乱で龍野赤松氏は浦上宗景に屈し、有利な条件で講和を結んだ浦上宗景が龍野赤松氏の領地の一部を手に入れ、版図を拡大した。また、赤松政秀は元亀元年(1570年)に浦上家に暗殺された。

そして上記のように赤松宗家は既に織田に恭順の意を示していたが[要出典]、織田軍の強さを知った浦上宗景もまた程なくして織田へと接近し、かねてより毛利家と険悪だったこともあって中国地方の反毛利大名として活発な活動を見せるようになる。

参考文献

  • 『黒田家譜』
  • 言継卿記
  • 『上月文書』
  • 『芥川文書』

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