豪商
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- 高向嘉昭「<論文>近世薩摩における豪商の活躍とその没落について」『商経論叢』第43巻、鹿児島県立短期大学、1994年3月、1-27頁、ISSN 0288-1160、NAID 110000048863。
注釈
- ^ 武将として知られた小西行長は小西隆佐の次男である。
- ^ 角倉了以は高瀬川(京都府)や天竜川(静岡県・愛知県)・富士川(静岡県)の水運をひらいたことでも知られる。荒木宗太郎は、コーチの王族のグエン氏一族の娘と結婚するなど現地での信頼があつかった。
- ^ 紀伊国屋文左衛門は、紀伊国産のみかんを江戸に回送したことで巨利を得たという「みかん船」の逸話で有名であるが、これは幕末期の『黄金水大尽盃』という小説のなかでの話であり、史実ではない[2]。
- ^ 最盛期の「奈良茂」の資産はもっと多かったろうと推測されている[2]。
- ^ 「奈良茂」は宝永7年(1710年)に材木商を廃業し、貸家業に転じた。「紀文」も正徳元年(1711年)頃に材木商を廃業、次男の新四郎は東海道保土ヶ谷宿で本陣をつとめた苅部家に持参金付きで養子入りしている[2]。
- ^ 当時は節季払いが一般的で、年に2、3度まとめて商品代金を支払う商慣行であったが、その価格には掛け値(支払い期日までの利息)まで含まれていたため、現金の即日払いにすれば掛け値の分だけ代金価格が割安になった[4]。
- ^ 元禄7年(1694年)に三井高利が死去した際にのこした資産は金8万両余であったが、正徳4年(1714年)には三井家の資産は総額24万両余にのぼったといわれる[4]。
- ^ 加島屋は、明治維新に際して新政府に援助し、明治期には加島銀行を設立しているが昭和恐慌により廃業した。
出典
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