谷川岳 ビュー・ポイント

谷川岳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/04 13:37 UTC 版)

ビュー・ポイント

  • 上越線土合駅より北へ進む白毛門は谷川岳の撮影ポイントの一つ。
  • 国道291号線は一ノ倉沢まで続き、舗装が途切れ、清水峠点線国道になる。周辺、マチガ沢 - 一ノ倉沢 - 幽ノ沢 - 芝倉沢は紅葉の名所。峻厳な岩肌と木々とが相俟った渓谷美で知られる。

遭難

遭難者慰霊碑

谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多い。ただし、遭難者の多くは一ノ倉沢などの岩壁からの登頂によるもので、一般的なルート(天神尾根)はほとんど危険な箇所もなく遭難者も少ない。

死者数のギネス記録

1931年昭和6年)[3]から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2012年平成24年)までに805名の死者が出ている[4][5][6]。ちなみに、世界各国の8000メートル峰14座の死者を合計しても637名であり、この飛び抜けた数は日本のみならず「世界の山のワースト記録」としてギネス世界記録に記載されている[7][1]

こうしたところから、谷川岳は「魔の山[7][1]」「人喰い山」「死の山」とも呼ばれる。遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されている。

事例

1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容した(谷川岳宙吊り遺体収容[1]

また、一ノ倉沢で1943年(昭和18年)9月8日に、2人の登山者が絶壁の岩場で遭難死。しかし遭難場所が分からず行方不明として処理され、遺体はそのまま岩場に放置された。30年後の1973年(昭和48年)5月13日に、偶然この場所にたどり着いた登山者が白骨化した遺体を発見。ポケットに残されていた10銭硬貨や過去の記録から、1943年の遭難者と判明した。5月25日に山岳クラブと地元警察により、30年ぶりに下山して親族の元に帰った。

石碑等

谷川岳一ノ倉沢出合にある岩場には多くの慰霊碑が建立されている[1]。また、土合口駅近くの谷川岳霊園地には「山の鎮の像」が建立されている[1]

参考画像




  1. ^ a b c d e f g 松倉一夫『ネイチャーハイク入門』JTBパブリッシング、146頁。
  2. ^ a b c 谷川岳登山の留意点 - 群馬県、2017年4月閲覧
  3. ^ この年に上越線の上越国境区間が全通し、土合駅などが開業、登山アクセスが飛躍的に改善された。
  4. ^ 戦前、戦後に於ける谷川岳の遭難について - 草加山の会、2017年4月閲覧
  5. ^ 日本医科大学雑誌第12巻第9号別冊 昭和16年発行
  6. ^ 東京緑山岳会編「谷川岳の岩場」昭和49年発行
  7. ^ a b 『クルマで行く山あるき 関東周辺 大人の遠足BOOK』JTBパブリッシング、2013年3月、93頁。ISBN 9784533090448


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