覚王山日泰寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 00:36 UTC 版)
概要
タイ王国から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された[新聞 1]。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。
日泰寺には、その真正について考古学的な裏付けがされている仏舎利が納められている上、インドでそのような仏舎利が発掘され、タイ王国を経由して、その一部が日本へと譲られる1900年前後の過程では、真身舎利(真正仏舎利)への信仰や敬いに加え、安置場所などを巡る日本仏教界内の激しい争いもあり、日本国内で大きな話題となったが、現在における日泰寺の知名度は高いものではない[WEB 1][WEB 2][WEB 3]。
一方、日本仏教界における特別な位置づけを反映し、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、曹洞宗等複数の宗派が合同で設けた超宗派の単立寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている[新聞 2]。ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。
真身舎利(真正仏舎利)は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。ただ、一般参拝者の拝観が認められていないことは、自らの遺骨を通じ、人々の修行や功徳に向かう心を支えようとした仏陀の教えに反しているとの指摘もされている[WEB 2]。
境内には真身舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。
毎月21日に、境内と約600メートルの参道に日用雑貨、生鮮食品、外食の屋台が100店ほど出店して、多くの人で賑わう。
WEB
- ^ “日泰寺”. 日タイ修好120周年. 外務省. 2022年12月17日閲覧。
- ^ a b 佐々木閑 (2021年12月). “仏教再発見の旅 121–129” (日本語). 佐々木閑の仏教講義 4 2022年12月17日閲覧。
- ^ 鵜飼秀徳「国内で唯一、「お釈迦様の真骨」がある場所とは」『Yahoo!ニュース』、2021年4月21日。2022年12月17日閲覧。
- ^ “市指定文化財”. 愛知県 (2012年10月19日). 2013年5月23日閲覧。
- ^ “草結庵”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “日泰寺奉安塔”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “日泰寺仏舎利奉安塔”. 名古屋市立城山中学校. 2019年12月24日閲覧。
- ^ “日泰寺奉安塔礼拝殿”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2017年2月4日閲覧。
- ^ “日泰寺奉安塔通天門”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2017年2月4日閲覧。
- ^ “日泰寺奉安塔土塀”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2017年2月4日閲覧。
- ^ “日泰寺奉安塔礼拝殿・通天門・土塀”. 愛知県. 2013年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “行事”. 日泰寺. 2021年6月27日閲覧。
- ^ a b c d “知ってる?タイと日本 日泰寺”. 外務省. 2021年6月27日閲覧。
新聞
書籍
- ^ トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会 2009, p. 349.
- ^ トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会 2009, p. 350.
固有名詞の分類
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