聖餐論 プロテスタント教会の諸教派における相違

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聖餐論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:09 UTC 版)

プロテスタント教会の諸教派における相違

ルター派共在説改革派のうちツヴィングリ派象徴説カルヴァン派は臨在説(聖餐のパンとぶどう酒自体は、パンそのもの、ぶどう酒そのものであり、何物にも変わることはないが、キリストの霊的な臨在がパンとぶどう酒に伴うものとする)をそれぞれ支持し、互いに教理論争が続いた。ただし、これらの比較的教条主義的な教派は聖餐を礼典として認めており、福音同盟の会議において地上における礼典の永続性が確認されたが、救世軍のように礼典としての意味をも認めない教派も存在する。ただし、多くのプロテスタントにおいては、信仰を同じくする者・すなわちあらゆる正統的キリスト教の教派の陪餐を認めている。さらに、教会員ではない未洗礼者の陪餐を認める教派も存在する(フリー聖餐)。

ルターの聖餐理解

マルティン・ルターにとっては、「聖晩餐において、キリストの体と血がパンとぶどう酒の中に,それとともに,これのもとにある」ことが重大関心事であり[7]、「したがって,十戒と,主の祈りと,信条とが,その本質と価値を保たれているならば,たといあなたがそれらをそのとおりに守らず,祈らず,信じないとしても,しかもこれは尊いサクラメントであることを損なわれず,そのため,われわれがそれをふさわしく執行しなかったとしても,そこから何一つ取り去られず、差し引かれないのである」ことを強調したため[8]、「キリストの御体を,霊も信仰もなしで,身体的に食することは,毒となり,死となるのである」としつつも[9]、「祭壇のサクラメントについて,われわれはかく信じる.聖晩餐のパンとぶどう酒は,キリストのまことの体また血であり,単に敬虔な者にだけでなく,悪しきキリスト者にも,与えられ,受け取られる、と。」とされた[10]

カルヴァンの聖餐理解

ジャン・カルヴァンは、「聖晩餐においては、しるしとことがらとは,はっきり区別される.もしそうしないならば,キリストの天上の栄光は侵され,物的要素の偶像化が起こるのである」とした[11]。「しかし,その味わう方法は,肉体の口を通してではなく,御霊を通じ,信仰を通して起こる」[12]「もし,これと違うことが説かれ,しるしとことがらのある種の相互作用のようなものが主張されるならば,不敬虔な者も聖晩餐においてキリストの体を受けることになる.それはしかし不可能である.なぜなら,キリストのいましたもうところ,つねに,命を与える彼の御霊がいますからである」と述べた[13]。「キリストの体と血は,選ばれた神の信仰者に対してと同じく,ふさわしくない者にも与えられるのである」が[14]、「ふさわしくないものの頑なさは,神の賜物がその人に来ることが出来ないようにする」と唱えた[15]ウェストミンスター信仰告白では「彼らは主の体と血に対し罪を犯し,己れ自身の呪いを招く」とされている[16])。カルヴァンは「ふさわしさ」について、「なぜなら、われわれが己れ自身から己れの『ふさわしさ』を求めねばならぬということになるならば、われわれはもう駄目だからである。・・・・・・そこで、われわれが神にもたらすことができる唯一の、そして最善の『ふさわしさ』とはこれである。すなわち、かれの憐れみによって『ふさわしい』ものとされんがために、われわれ自身の無価値さと、さらに(言うならば)『ふさわしくなさ』を、かれの前に差し出すこと、われわれがかれにおいて慰められんがために、己れ自身においては絶望すること、われわれがかれによって立ちあがらせんがために、己れ自身としてへりくだること・・・・・・がそれである」と述べている[17]

従って、改革派は「回心を求める罪人を遠ざけたのではなく、回心もせず、感謝のかけらもなく、信仰すらまじめに求めない傲慢で不遜な者を遠ざけた」[18]


  1. ^ 荒井 1998.
  2. ^ 荒井 1998, p. 34.
  3. ^ キリスト教に関するレファレンス”. antiquesanastasia.com. 2019年1月12日閲覧。
  4. ^ 蓼沼理絵子、「[1]」 ユダヤ・イスラエル研究 2014年 28巻 p.99-108, doi:10.20655/yudayaisuraerukenkyu.28.0_99
  5. ^ 世界代表司教会議 第11回通常総会 提題解説”. カトリック中央協議会. pp. 第3章 聖体-われわれの宣言する信仰の神秘 論点27, 28. 2017年2月27日閲覧。
  6. ^ 『正教要理』76頁 - 77頁、日本ハリストス正教会教団、1980年12月12日初版発行
  7. ^ ニーゼル 2008, p. 317 『キリストの聖晩餐についての告白』,1528年..
  8. ^ ニーゼル 2008, p. 318 『大信仰問答』,1528年..
  9. ^ ニーゼル 2008, p. 318 『キリストの聖晩餐についての告白』,1528年..
  10. ^ ニーゼル 2008, p. 318 『シュマルカルデン条項』,1537年..
  11. ^ ニーゼル 2008, p. 315 カルヴァンのプーツァー宛の手紙,1528年..
  12. ^ ニーゼル 2008, p. 315 『ベルギー信仰告白』,1561年..
  13. ^ ニーゼル 2008, p. 315 『キリスト教綱要』VI, 17,33.1559年..
  14. ^ ニーゼル 2008, p. 316 『キリスト教綱要』VI, 17,33.1559年..
  15. ^ ニーゼル 2008, p. 316 カルヴァンのプーツァー宛の手紙,1528年..
  16. ^ ニーゼル 2008, p. 316 ウェストミンスター信仰告白 29, 8. 1646年..
  17. ^ 芳賀 2006, p. 84 『キリスト教綱要』VI, 17, 41, 42。cf.『ジュネーヴ教会信仰問答』pp=360-361。.
  18. ^ 芳賀 2006, p. 104 『キリスト教綱要』VI, 17, 33。cf.「ベルギー信条」第35条、「スコットランド信条」第22条、「第二スイス信条」第21条。.
  19. ^ 英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)|熊本聖三一教会ホームページ - ウェイバックマシン(2008年1月22日アーカイブ分)
  20. ^ 英国聖公会の39箇条(聖公会大綱) 一1563年制定一”. 日本聖公会宮崎聖三一教会. 2018年1月3日閲覧。
  21. ^ 聖公会とは”. 日本聖公会東京教区. 2018年1月3日閲覧。
  22. ^ 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》、教会問答21-24、p. 264.
  23. ^ 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》、p. 174.
  24. ^ 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》、p. 181.
  25. ^ 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》、p. 182.
  26. ^ 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》、p. 175.
  27. ^ 「堅信前の陪餐」関連諸文書 日本聖公会


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