聖家族 (ミケランジェロ) 植物が象徴するもの

聖家族 (ミケランジェロ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 10:25 UTC 版)

植物が象徴するもの

洗礼者ヨハネの前に描かれた植物はヒソップあるいはコーンフラワーに似ているが、壁から生えているように見えることからヒソップかも知れない。コーンフラワーはキリストを意味し天界の象徴とされ、一方ヒソップはキリストの謙虚さと洗礼の象徴とされる。背景にはシトロンの樹が描かれ、レバノンスギの象徴となっている。ミケランジェロはヒソップと樹木を、マインツ大司教で多数の重要な書物を著したラバヌス・マウルス (en:Rabanus Maurus) の「レバノンスギから石の壁に育つヒソップにいたるまで」で始まる有名な言葉の視覚的引用として用いているのである。地面手前に生えているクローバーは三位一体と救済の象徴で[20]、アネモネの樹は三位一体とキリストの受難を象徴している[21]

学術的見解

この作品のあらゆる箇所にさまざまな見解が存在している。そのなかでもっとも意見が分かれているのが、聖家族と背景の裸体像との関係である[6]

ヴァージニア大学美術史学教授ポール・バロルスキーは『聖家族』が「敬虔な宗教画であって、作風や象徴化、図像学などとはまったく関係ない」と主張している[22]。バロルスキーの論文はジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によるところが大きい。この作品が単なる宗教画であるとするバロルスキーの考えは、この絵画のキリストがマリアからヨセフ(あるいはその逆)への贈り物であるかのように描かれているところから来ている。贈り物のことをイタリア語で「donare」といい、依頼者の名前「ドーニ Doni」にひっかけた言葉遊びではないかと考えたのである。また、腕をあげてキリストを抱きかかえているマリアのポーズは、ミサのときに司祭が腕を掲げるポーズを意味しているとした[23]

ジローラモ・サヴォナローラの肖像』, フラ・バルトロメオ (1498年頃)

美術史家ミレッラ・ダンコーナは、この絵画が人類の救済と精神の不滅に関して、ミケランジェロが考える聖家族それぞれの役割を表現していると主張している。中央に描かれたマリアと目をひく色彩の衣服は、マリアが人類の救済の役割を与えられており[6]、キリストの母として、また神と人間の仲介者として表現されているとした。ダンコーナは、フィレンツェでドミニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラに大きな影響を受けていたミケランジェロが、無原罪の聖母を認めないドミニコ会の教義を擁護するためにこの作品を利用したのではないかと指摘している[6]。ドミニコ会の教義では、マリアは生まれながらにして聖性を持っていたわけではなく、キリストを産んだ瞬間に神聖な存在になったというものである。したがってこの絵画は幼いキリストがマリアを祝福している場面を描き、マリアが普通の人間から聖母になった瞬間をとらえた作品であると考えた。ダンコーナは、ミケランジェロはキリストがあたかもマリアの肩から生まれ出たかのように表現し、片脚だけを描くことによってキリストがマリアの身体の一部として描いたとする。キリストはすでにマリアの上にいるが、その身体とポーズはさらに上を目指しているように描かれ、このことはキリストがマリアよりもさらに神聖な存在であることを意味していると考えた[7]。さらにダンコーナは、後景の裸体の男性たちは洗礼を受けて清められるために衣服を脱いだ罪人と解釈できると主張している。聖家族と男性たちを隔てている画面中央の水平な帯の向こうには水があり、聖書で言及されている「洗礼の水」とするのである。また、男性が2人組と3人組に分けて描かれていることにも着目し、左の2人は人としてのキリストと聖なる存在としてのキリストを表現し、右の3人は三位一体を表現していると主張した[14]

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉彫刻『天国への門』の立体的に突き出している彫刻. 『聖家族』の額縁にもこれとよく似た頭部の彫刻が5つある

美術史家アンドレ・エイムは、この作品がドーニ家の依頼によって描かれたことから、「宗教的なもの」というよりも「世俗的な理想の家庭」を意味しているのではないかと主張している[4]。また、円という形状を選択することによって、ミケランジェロが過去に同じく円形で描いた『東方三博士の礼拝』、『キリスト生誕』、『聖母子像』を想起させようとしていると考えた[4]。また、エイムはこの作品には旧約聖書のノアの隠喩も多く含まれているとしている。それによると、マリアはノアの義理の娘の巫女であり、ヨセフはそのままノアとなる[24]。後年ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天上画に描いたノアとこの作品のヨセフとが、直接関連しているとも指摘した[25]。ノアとの関連性によって裸体の男性たちも説明可能で、これはワインで酔っ払い裸で眠ってしまったノアを連想させるとしたのである[26]。さらにノアの大洪水との関連で洗礼の水にも言及でき、ダンコーナが主張した、裸体の男性たちが洗礼者ヨハネから「洗礼を受けるのを待っている」という主張も説明できるとしている。そしてヨハネが、狭い箱舟を連想させる「穴のような場所に隔離されている」ことが、この絵画で洗礼者として特別な役割を与えられていることを意味すると考えた[11]

ロベルタ・オルソンは『聖家族』が「家族の重要性」を描いた作品であると考え、「ドーニ家が待望する子供」と関係しているのではないかと推測した[27]。素晴らしい結婚を意味するものとして、ヨセフとマリアがキリストを抱いている「お互いの動作」の描写があげられる[28]。さらに重要なのはヨセフが着ている衣服の色で、黄色はこの家族が真に聖なるものであることを意味し、紫はヨセフが古代イスラエルのダヴィデ王に連なる王家の血統であることを証明しているとした[28]。さらに、ヨセフという名前は、ドーニ家の幼くして亡くなった3番目の子供のミドルネームでもあった[29]。洗礼というテーマも、この絵画の額縁がギベルティの彫刻『天国への門』の影響を受けていることで表されていると主張している。フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉にある『天国への門』は洗礼式を意味しており、聖家族のような幸せな結婚を通じて子供を授かるというドーニ家の希望が、この絵画をミケランジェロに依頼した理由のひとつといえるだろうとした[12]

脚注


注釈

  1. ^ 他にミケランジェロはアニョロ・ドーニの肖像画も描いている
  2. ^ イタリア語の題名「Tondo Doni」は「ドーニ家の円形画」という意味になり、日本では『ドーニ家の聖家族』と呼ばれることもある。
  3. ^ ミケランジェロ自身が制作したという説もある。
  4. ^ 現在『聖アンナと聖母子』はパリのルーブル美術館所蔵で制作年度は1510年頃だが、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されているものなど、下絵は1500年以前から制作されている。

出典

  1. ^ en:The Torment of Saint Anthony (Michelangelo), a copy, was done when he was twelve or thirteen
  2. ^ Hayum,209
  3. ^ Hayum,211
  4. ^ a b c Hayum,210
  5. ^ a b Painted Devotional Tondi, 219
  6. ^ a b c d d’Ancona, 43
  7. ^ a b d’Ancona, 44
  8. ^ a b c Buzzegoli, 408
  9. ^ a b c d d’Ancona, 45
  10. ^ a b c d e f Hartt and Wilkins, 506
  11. ^ a b c Hayum, 214
  12. ^ a b c d Painted Devotional Tondi, 220
  13. ^ a b Smith,85
  14. ^ a b d’Ancona, 48
  15. ^ Lost and Partially Found, 31
  16. ^ Zimmer, 60
  17. ^ Hartt and Wilkins, 507
  18. ^ Grove, 442
  19. ^ a b Smith, 84
  20. ^ d’Ancona, 46
  21. ^ d’Ancona, 46–47
  22. ^ Barolsky, 11
  23. ^ Barolsky, 8
  24. ^ Hayum, 218
  25. ^ Hayum 217-218
  26. ^ Hayum, 216
  27. ^ Painted Devotional Tondi, 226
  28. ^ a b Painted Devotional Tondi, 221
  29. ^ Painted Devotional Tondi, 224-225





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