総持寺 (和歌山市)とは? わかりやすく解説

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総持寺 (和歌山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 06:46 UTC 版)

総持寺
所在地 和歌山県和歌山市梶取86番地
位置 北緯34度15分11.2秒 東経135度9分38.1秒 / 北緯34.253111度 東経135.160583度 / 34.253111; 135.160583座標: 北緯34度15分11.2秒 東経135度9分38.1秒 / 北緯34.253111度 東経135.160583度 / 34.253111; 135.160583
山号 梶取本山
宗派 浄土宗西山派
創建年 1450年
開基 明秀光雲
文化財 絹本著色釈迦三尊像(重要文化財)
総門、本堂、鐘楼(和歌山県指定文化財)
法人番号 9170005000549
総持寺
総持寺 (和歌山県)
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總持寺(そうじじ)は、和歌山県和歌山市梶取にある浄土宗西山派寺院梶取本山(かんどりほんざん)、梶取本山総持寺とも。

赤松則村の孫で同派の僧・明秀によって宝徳2年(1450年)に開創された。16世紀中頃には後奈良天皇および正親町天皇勅願寺となった。また、総持寺は雑賀荘の北部に位置しており、同地を拠点とする雑賀衆の中でも信者が多かった。このため、石山戦争における雑賀衆の活躍も、本願寺を支持する浄土真宗門徒と織田信長に反発する一部の浄土宗西山派門徒による協力関係があって成立したとする見方がある[1]

天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州征伐の際に全焼するが、その後復興し、寛文年間(1661~1672年)には禅林寺光明寺の末寺となる。紀伊国和泉国に八十八ヶ寺の末寺を有し、同派の檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられている。

文化財

重要文化財(国指定)
  • 絹本著色釈迦三尊像
和歌山県指定文化財
  • 総門
  • 本堂
  • 鐘楼
和歌山市指定文化財
  • 釈迦堂
  • 玄関
  • 開山堂
  • 当麻曼荼羅
  • 円光大師御絵伝
  • 西山国師御絵伝

関連項目

所在地

〒640-8411 和歌山県和歌山市梶取86番地

交通アクセス

脚注

  1. ^ 武内善信「雑賀一揆と雑賀一向一揆」(大阪真宗史研究会 編『真宗教団の構造と地域社会』(清文堂出版、2005年) ISBN 4-7924-0589-0 P309-310

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