立川ぜん馬 経歴

立川ぜん馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 15:38 UTC 版)

経歴

1971年1月に七代目立川談志に入門。前座名は「立川孔志」。

1976年7月に二ツ目に昇進し「朝寝坊のらく」を名乗る。1981年、第10回NHK新人落語コンクール 最優秀賞を受賞。

1982年12月に四代目吉原朝馬春風亭一朝らと共に真打昇進、六代目立川ぜん馬を襲名。1983年、師匠と共に落語協会を脱退。落語立川流のAコース真打となり現在に至る。

芸歴

人物

師匠立川談志の芸の継承者と言われるほど落語の実力は折り紙つきで、古典落語を演じさせたら右に出るものはなしと言われるほどである。演じる芸は滑稽噺から人情・怪談・芝居噺と多岐に渡り、数少ない「お客に江戸落語全般を堪能させられる」噺家といえる。

同期入門の噺家として六代目三遊亭円楽[1]春風亭小朝桂歌春らがおり、特に円楽とは前座・二ツ目時代にたびたび互いの師匠のところへ稽古に通っていた[2]。また前座時代に円楽、小朝、古今亭八朝と共に『四天王弟子の会』という会を開いたこともある[3]

落語以外では、妻はTBSラジオの名物番組大沢悠里のゆうゆうワイドなどに出演したさこみちよであり、夫婦で関東近辺にてイベントを開いて活動している。2006年には夫婦そろって群馬県片品村の親善大使に選ばれ同村のPRイベントでも活躍中。

妻が出演していたゆうゆうワイドの内包番組であるミュージックプレゼントのMC毒蝮三太夫は「立川毒まむ志」の高座名を持つ落語立川流Bコースの落語家でもあり師匠経由で夫婦ぐるみで親しい付き合いを持っている。

その他

  • 居合道で心身を鍛練していて腕前は夢想神伝流の二段。
  • 学生時代競輪場にて予想屋のアルバイトをしていたことがあり、競輪の予想に関しては玄人はだし。
  • 高座では落語以外で獅子舞を披露することがある。
  • 2014年にがんの手術を受けて以後は高座出演を控える傾向にあり、特に2016年は入退院を繰り返していたことが妻であるさこみちよにより、大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版にて明かされた。

  1. ^ 六代目 三遊亭円楽『流されて円楽に 流れつくか圓生に』十郎ザエモン、竹書房、2019年11月4日、32頁・95頁。ISBN 9784801920392
  2. ^ 落語ファン倶楽部 別冊 2014年4月発売『東西全落語家一門名鑑 p .140
  3. ^ 流されて円楽に 流れつくか圓生に, p. 34.


「立川ぜん馬」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「立川ぜん馬」の関連用語

立川ぜん馬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



立川ぜん馬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの立川ぜん馬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS