犬小屋 (江戸幕府) 設置理由

犬小屋 (江戸幕府)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 13:50 UTC 版)

設置理由

犬小屋が設けられた理由は、江戸の町中に犬が増えすぎたために発生した問題を解決するためと考えられている(冒頭参照)。綱吉が元禄6年(1693年)に放鷹制度を全面的に廃止したことから鷹の食餌用の犬の需要が無くなったこと、犬を食べる習俗があったかぶき者が大量検挙されて食犬の習慣も廃れたことで、江戸の町中や近郊では野良犬が増え、野犬が捨子を捕食するという事態も起きていた[43][44]

しかし、根崎光男山室恭子は犬愛護令を出してもそれが守られず、かえって犬を殺し虐待する町人が増えてきたため、幕府自ら犬殺しを未然に防止し、病犬・子犬・捨て犬を保護するための犬の収容施設を造ることになったと考えている[3][38][45]。犬小屋設置は都市問題としての野犬収容や狂犬病の対策としても機能した[45]。犬小屋への犬収容の直前にあたる元禄8年10月に、子犬を捨てた辻番が引き回しの上、浅草で斬首刑獄門になっている(『御仕置裁許帳』六八六号)。これは、法令を守らない町人たちへの見せしめ効果を強く意識しての措置だと山室は考えている[46]

山室恭子はさらに、綱吉の側用人柳沢吉保の日誌「楽只堂年録」元禄十六年十二月六日条に「御城下民間にて養へる犬」を中野犬小屋に収容して養育し、餌代は「犬の元主」より出させたとあることから、飼い犬の収容施設だったという説を提唱している[38]。この説に対し根崎は、「御城下民間にて養へる犬」がペットとしての飼い犬とは限らず「食物を与えることを命じられた無主犬や病犬・子犬」も含まれたのであろうと考えている[45]。餌代を供出させられた「犬の元主」という記述も、犬小屋の維持費用が江戸の町々から公役の賦課単位である小間を基準に徴収されたことから、江戸町人の多くが「犬の元主」に該当するとしている[45]

四谷での犬の収容が開始された当初、町触では「人に荒き犬」を収容しているとあり、ただの無主犬ではなく獰猛な犬の収容が目的で、都市問題としての野犬対策の色彩が強く、人と猛犬との対立激化を避ける狙いがあった[4][17]塚本学も、江戸の町に横行する多数の犬が町民とのトラブルを発生させていたことから、野犬公害への対策として犬の収容所を造ったと考えている(『生類をめぐる政治』、平凡社ライブラリー[47])。同時に、四谷の犬小屋へ江戸の雌犬を全て収容するという記録もあり、犬の繁殖を阻止する目的もあった(「残嚢拾玉集」『加賀藩史料』第五篇[4])。

しかし、田中休愚は犬小屋に収容された犬の養育のむごさやその餌となる米穀調達の困難さなど矛盾に満ちた犬小屋運営を嘆き(『新訂民間省要』[48])、『三王外記』には「是に於て群狗相闘ひ、或ひは傷つき、或ひは死す。奴之を救ふて亦た傷つく者あり」と書かれた[27]

また、犬の殺害・虐待を防ぐという目的に反し、中野の犬小屋が設置された後に小石川馬場のほとりに2匹の白い子犬が捨てられていたため、捨て犬への詮議を厳しくするよう通達がなされた(『柳営日次記』元禄八年十二月二十一日条[注釈 9][27][38]、)。翌9年8月に犬を斬った者が2名捕まり、1人は遠島、もう1人は市中引き回しの上、浅草で斬罪となった(『元禄宝永珍話』巻一[38])。


注釈

  1. ^ つきや、米つきをする小屋。
  2. ^ 生魚・干魚・鰹節・鱓(ごまめ)・塩・味噌
  3. ^ 『徳川太平記』では4人[29]
  4. ^ 東の御囲113棟と西の御囲177棟に分かれていた。
  5. ^ 東の御囲116棟と西の御囲179棟。建設に大工3319人半の労力を要した。
  6. ^ 中野区立歴史民俗資料館には、竹製の犬移送用の駕籠(復元)が所蔵されている。
  7. ^ 布地を重ねて刺し縫いした衣服。
  8. ^ 尾張藩家臣朝日重章が書いた日記。
  9. ^ 「小石川馬場のほとりに、去る十八日の夜、白狗二頭捨置きけり。こたび市井の犬点検し、犬小屋へ遣はされたれば、さる事かつてあるべからざる所に、かかるふるまひなせしは、いとひが事なれば、きびしく査検すべし。」
  10. ^ 江戸町の公役賦課の単位、1小間は約20坪
  11. ^ 今度火事地震に付き、町中困窮致すべく候間、当未之年は犬扶持御免の旨、御老中仰せ渡され候間、これに依り、先だって差し出し候出銀もあひ返すべく候間、右の趣、触れ知らすべく候。十二月七日

出典

  1. ^ a b c d 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、125頁。
  2. ^ a b c d e f g 「中野犬小屋の建設」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、82-85頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 「犬小屋の建設」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、76-78頁。
  4. ^ a b c d 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、128頁。
  5. ^ a b c d e f g 「御犬様々」児玉幸多著 『日本の歴史 16 元禄時代』 中公文庫、328-333頁。
  6. ^ a b c d e f g 「犬小屋」大石学著 『江戸幕府大事典』 吉川弘文館、572頁。
  7. ^ a b c d e f 「九 犬政の民に及ぼしたる疾病苦(二)」徳富蘇峰著 『近世日本国民史 元禄時代 政治篇』 講談社学術文庫、214-218頁。
  8. ^ a b c d e f 「犬小屋の管理」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、86-88頁。
  9. ^ 塚本学『生類をめぐる政治』(平凡社、1993年)218頁。
  10. ^ a b c 「生類憐みの令」『国史大辞典』第7巻 吉川弘文館、654頁。
  11. ^ 「葬儀もおこなわれないうちに」小川和也著 『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』 講談社、230-232頁。
  12. ^ 『新訂寛政重修諸家譜』第九 株式会社続群書類従完成会、164頁。
  13. ^ 塚本学『生類をめぐる政治』(平凡社、1993年)212-214頁、232頁。『徳川実紀』第六編(吉川弘文館、1976年)元禄八年六月一日条。
  14. ^ a b 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、126頁。
  15. ^ a b 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、127頁。
  16. ^ 『徳川実紀』第六篇、「常憲院殿御実紀」。
  17. ^ a b c d e f 「四谷・大久保の犬小屋」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、78-80頁。
  18. ^ a b c 角筈村の大筒調練場公益社団法人新宿法人
  19. ^ 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、127-128頁。
  20. ^ 徳川実紀』「常憲院殿御実紀」元禄八年五月二十三日条。
  21. ^ 「改正甘露叢」元禄八年十月二十三日条(『内閣文庫所蔵史籍叢刊』四十七。「柳営日次記」)。
  22. ^ 「柳営日次記」元禄八年十一月十三日条。
  23. ^ a b c 「中野犬小屋の用地」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、80-81頁。
  24. ^ 日本の犬小屋はなぜ三角屋根なのか澤村明、新潟大学経済論集、第99号 2015-
  25. ^ 「常憲院殿御実紀」元禄八年十月二十九日条。
  26. ^ 『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」元禄八年五月二十三日条。
  27. ^ a b c 「六 犬か人か(一)」徳富蘇峰著 『近世日本国民史 元禄時代 政治篇』 講談社学術文庫、201-204頁。
  28. ^ a b 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、129頁。
  29. ^ 九 犬政の民に及ぼしたる疾病苦(二)」徳富蘇峰著 『近世日本国民史 元禄時代 政治篇』 講談社学術文庫、214-218頁
  30. ^ a b c d e 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、130頁。
  31. ^ 「改正甘露叢」元禄八年十一月十一日条(『内閣文庫所蔵史籍叢刊』四十七)。
  32. ^ 「改正甘露叢」元禄八年十一月十三日条(『内閣文庫所蔵史籍叢刊』四十七)。
  33. ^ a b 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、131頁。
  34. ^ a b c d e f 「犬小屋の構造」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、88-91頁。
  35. ^ 元禄十年四月二十五日作成の中野村名主堀江家文書より。実物は所在不明で、首都大学東京図書館と中野区立歴史民俗資料館に写真版が所蔵されている。
  36. ^ 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、130-131頁。
  37. ^ a b c d 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、136頁。
  38. ^ a b c d e f g h i j 「巨大犬小屋作戦」山室恭子著 『黄門さまと犬公方』 文春新書、158-161頁。
  39. ^ a b c d 「犬の収容と移送」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、91-93頁。
  40. ^ a b c d 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、131-132頁。
  41. ^ 『正宝事録』第一巻(近世史料研究会編、日本学術振興会、1965年)九三三号、337頁。
  42. ^ a b c d e f 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、133頁。
  43. ^ 戸田茂睡『御当代記』(塚本学編、東洋文庫六四三、平凡社、1998年、137頁。
  44. ^ a b c 「放鷹制度の廃止と犬」福田千鶴著 『徳川綱吉 犬を愛護した江戸幕府五代将軍』 山川出版社、51-54頁。
  45. ^ a b c d 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、132-133頁。
  46. ^ 「死罪十三件」山室恭子著 『黄門さまと犬公方』 文春新書、179-185頁。
  47. ^ 山室恭子著 『黄門さまと犬公方』 文春新書、124頁
  48. ^ a b c d e 「犬の餌とその経費」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、93-94頁。
  49. ^ a b c d e f g 「御犬上ヶ金と犬扶持」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、94-96頁。
  50. ^ a b c d e f g 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、134頁。
  51. ^ a b c 「犬扶持」『国史大辞典』第7巻 吉川弘文館、749頁。
  52. ^ a b 「犬扶持免除」山室恭子著 『黄門さまと犬公方』 文春新書、199-201頁。
  53. ^ a b c d e f g 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、135頁。
  54. ^ 根崎光男著 『生類憐みの世界』 同成社、135-136頁。
  55. ^ a b 「預かり犬養育の誓約書」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、100-101頁。
  56. ^ 「預かり犬養育の誓約書」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、99-100頁。文書の後半は欠落しているので、実際にはさらに多い。
  57. ^ a b 山室恭子著 『黄門さまと犬公方』 文春新書、222-225頁。
  58. ^ a b c d 「犬小屋の解体」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、108-110頁。
  59. ^ 『なかのものがたり』 中野区教育委員会、38-39頁。
  60. ^ a b c 「「御犬」の始末」根崎光男著 『犬と鷹の江戸時代 <犬公方>綱吉と<鷹将軍>吉宗』 吉川弘文館、110-111頁。
  61. ^ 「当丑ノ正月中御囲相止申候ニ付、御囲内之御犬分散被仰付、依之私共御預り御犬之義も其積り被思召」(堀江家文書B一七五)
  62. ^ 中野区役所ホームページ - なかの物語 其の五 徳川将軍家と中野





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