犬尾城 (愛媛県)とは? わかりやすく解説

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犬尾城 (愛媛県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 01:20 UTC 版)

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犬尾城
愛媛県
別名 犬日城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 法華津氏
築城年 不明
主な城主 法華津氏土居清宗、宗実、宗信
廃城年 不明
遺構 曲輪
指定文化財 宇和島市指定史跡
位置 北緯33度16分28.4秒 東経132度32分17.5秒 / 北緯33.274556度 東経132.538194度 / 33.274556; 132.538194 (犬尾城)座標: 北緯33度16分28.4秒 東経132度32分17.5秒 / 北緯33.274556度 東経132.538194度 / 33.274556; 132.538194 (犬尾城)
地図
犬尾城
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犬尾城(いぬびじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町立間尻にあった日本の城。別名犬日城。宇和島市指定史跡[1]

概要

伊予吉田駅の西550メートルに位置する、立間川河口にそびえる標高130メートルの犬尾山(犬日山)山頂にある。北側には石城がある。

築城年代は不明だが、鎌倉時代中期以降に伊予国に入った伊予西園寺氏配下の武将・法華津氏が築城したと伝えられ、西園寺氏の出城として機能した。法華津氏が、新たに法華津本城を築城しこれに移ると、石城と共にその支城となった。

天文15年(1546年)、豊後大友氏の伊予侵攻に備え、西園寺氏の命により大森城主土居清宗が石城に入り、犬尾城の守備を子の土居宗実・宗信に任せた。

永禄元年(1558年)以降激化した大友の攻勢に対し、土居勢はよく守ったが、永禄3年(1560年)9月22日に落城した[1]

1979年(昭和54年)3月26日に当時の吉田町により町指定史跡となった。現在は宇和島市指定史跡。

脚注

  1. ^ a b 「市指定 犬尾城跡」宇和島市公式HP

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