民衆十字軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 06:14 UTC 版)
戦いの結果
ニカイア近郊に陣取るフランス人らの宿営地では、トルコ人のスパイ二人が潜入して、クセリゴルドンを落としたドイツ人たちがニカイアも陥落させたという噂を流した。たちまち興奮が発生し、できるだけ早くニカイアに着いて略奪に加わろうと浮き足立つ者が現れた。もちろん、クルチ・アルスラーン1世はニカイアへの街道の途中に伏兵を置いていた。
やがてクセリゴルドンが実際には陥落しているという話が一行に届くと、興奮はパニックへと変わった。ピエールはコンスタンティノープルへ補給を求めるために戻っており、一行の指導者たちはまずはピエールの宿営地への帰還を待つべきだと議論した。しかし軍勢の多数の支持を受けていたジョフロワは待つのは臆病だとして、このままニカイアへ進んでトルコ人と戦うべきだと主張した。ジョフロワの強硬意見が支持を集め、10月21日の朝、2万人の十字軍は女・子供・老人・病人を宿営地に残してニカイアへの行進を始めた。
宿営地から3マイルのところにあるドラコンの村の近くで、街道は木々が生い茂る狭い谷間に入っており、セルジューク朝の伏兵が潜んでいた。騒がしく行進してきた十字軍は、この谷間で矢の一斉射撃の的となった。パニックに陥った軍勢は数分で総崩れとなり宿営地へ敗走し、宿営にいた者も散り散りに逃げ出した。民衆十字軍はこの戦いでほぼ壊滅し、子供や女性その他降伏した人々はかろうじて助命されたが奴隷にされた。戦おうとした兵士数千人は全滅し無産公ゴーティエも死んだ。これがドラコンの戦い(キボトシュの戦い)である。ジョフロワ・ビュレルを含む3千人ほどが放棄されていた古い城跡に立て篭もった。
東ローマ帝国はボスポラス海峡の東へ軍を派遣して立て篭もった軍勢を助けた。この数千人だけがコンスタンティノープルへ戻り隠者ピエールと合流し、後に第1回十字軍に合流した。
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