柳町光男
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来歴・人物
茨城県行方郡牛堀町(現在は潮来市)の出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。大学在学中から映画作家を志望しシナリオ研究所へ通う。卒業後に就職するも、1969年からフリーの助監督として映画撮影に携わる。東映教育映画部では大和屋竺に師事。1974年に自らの製作会社「群狼プロダクション」を設立し代表に就任(現在は、株式会社プロダクション群狼)。
その後、当時日本で最大規模の暴走族であったブラックエンペラーを追ったドキュメンタリー映画の製作に着手。2年の製作期間を経て1976年に第1作『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』を発表した。安田生命ホール(現在の明治安田生命ホール)での小規模公開から始まったが、評判を呼び、東映系で拡大ロードショー公開される。
この第1作を戦後生まれで初の芥川賞作家である中上健次が評価したことがきっかけとなり、『十九歳の地図』(中上健次の第69回芥川賞候補作)を映画化し、1979年に劇映画デビューすることになる。
以降、『さらば愛しき大地』(1982年、根津甚八・秋吉久美子主演)[1]、『火まつり』(1985年、脚本 中上健次)などで各方面から高い評価を受ける。
1990年には当時の世界的スター、ジョン・ローンを主演に迎え日米香港合作映画『チャイナシャドー』を製作(原作は直木賞作家・西木正明の『蛇頭(スネークヘッド)』)。初となった海外との合作を成功させ中国、台湾、香港などへ積極的な関心を示し、1993年には中国人留学生や日本育ちの中国人少女が登場する『愛について、東京』を監督。
2001年度~2003年度に、早稲田大学客員教授。このときの経験をもとにした映画が『カミュなんて知らない』である。2006年に第19回東京国際映画祭の国際審査員を務める。出身地である茨城県の「いばらき大使」、潮来市の「水郷いたこ大使」も務める。
好きな映画監督は、溝口健二、ジャン=リュック・ゴダールなど。ノンフィクション作家の佐野眞一、株式会社ボイジャー社長の萩野正昭は、大学時代の同窓であり友人。
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