東條英機自殺未遂事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:34 UTC 版)
自決に対する異説
米軍MPによる銃撃説
東條の自決をめぐっては様々な憶測が飛び交った。そのひとつに、東條は自殺未遂ではなくアメリカ軍のMPに撃たれたという説がある。
当時の陸軍人事局長額田坦は、「十一日午後、何の予報もなくMP若干名が東條邸に来たので、応接間の窓から見た東條大将は衣服を更めるため奥の部屋へ行こうとした。すると、勘違いしたらしいMPは窓から跳び込み、イキナリ拳銃を発射し、大将は倒れた。MPの指揮者は驚いて、急ぎジープで横浜の米軍病院に運んだ(後略)」との報告を翌日に人事局長室にて聞いたと回想録に書いているが、この報告者の名前は忘れたとしている[8]。
しかしロバート・ビュートーは、東條がMPに撃たれたという説は「ほとんど100パーセントのうそである」と断じている[6]。保阪正康も銃撃説を明確に否定している[30]。
拳銃
東條が自殺に使用したのと同型のものとして、アメリカ合衆国のバージニア州ノーフォークにあるマッカーサー記念館(MacArthur Memorial Museum)に参考展示されている拳銃はコルト社製の32口径(=7.65mm)である。しかし、後述のように東條を主人公とした日本映画では十四年式拳銃で自決しようとした描写があるなど、異説もある。
- コルトM1903 説
- 東條の娘婿で近衛第一師団の古賀少佐が、8月15日の自決に際して使用した銃[6]であり、アメリカ軍の調査担当者による結論である。
- 22口径 説
- 口径が小さく(5.5 mm)、殺傷能力が劣り自決に用いるには確実性の低い銃であるとして、狂言自殺説の根拠となっている。「確実に死ねなかった」東條に悪意を持つ人々が多かったという背景もあり、現在も根強く信じられている。[31]しかし、東條が護身用に所有していた小型拳銃は25口径(6.35 mm)であり、巷間に流布されている「22口径」に該当する銃は発見されていない。
- 陸軍制式拳銃 説
- 秘書官の「古賀少佐が自決に使用した制式大型」という証言に基づく推測。東條を主人公とした映画『プライド・運命の瞬間』では、日本軍の制式拳銃である十四年式拳銃(8.13 mm)で自決しようとした描写になっている。しかし上述のように実際に古賀氏が使用したのはコルト32口径であり、秘書官もこれを指したものと思われる。
- ^ 太田尚樹『東条英機阿片の闇 満州の夢』、260頁、角川学芸出版、2009年
- ^ 当時の戸籍は家制度であり、戸主のもとに一族全員の戸籍が編纂されていた
- ^ a b 朝日新聞1945年11月20日朝刊
- ^ 上法快男『東京裁判と東條英機』148頁
- ^ 『続 重光葵手記』298頁
- ^ a b c d e f g h i ロバート・J.C.ビュートー『東條英機(下)』第14章 名誉の失われし時(215-245頁)時事通信社 1961年
- ^ a b 『陸軍良識派の研究』131頁
- ^ a b c d 『額田坦回想録』芙蓉書房出版『陸軍人事局長の回想』(昭和52年版)改題再編版
- ^ 東条勝子「面影」、『敗者:東条英機夫人他戦犯遺族の手記』収録、46-62ページ
- ^ ビュートー 前掲書 222頁
- ^ 東條勝子「戦後の道は遠かった」(39・6)『「文藝春秋」にみる昭和史 第二巻』所収(99-111頁) 文藝春秋 1988年
- ^ 長谷川幸雄「東条大将自決ならず!」(1969年10月21日放送)『証言 私の昭和史 6』東京12チャンネル 1969年
- ^ 朝日新聞1945年9月12日朝刊。なお、原文の旧字、旧かな使いは現代語にしている。
- ^ 東條の秘書であった畑山の誤記
- ^ a b c 激動の昭和 1989, p. 268.
- ^ “Find A Grave John A “Jack” Archinal”. 2022年1月29日閲覧。
- ^ 『続 重光葵手記』299頁
- ^ 1946年9月16日朝日新聞等
- ^ 『日本の100人 東条英機』
- ^ 太田尚樹『東条英機阿片の闇 満州の夢』、260頁、角川学芸出版、2009年
- ^ 大路直哉『見えざる左手』、三五館、1998年
- ^ 『東条英機阿片の闇 満州の夢』角川学芸出版、2009年
- ^ a b 『東條秘書官機密日誌』186-201頁
- ^ 『東條家の母子草』93-94頁
- ^ 『巣鴨日記』
- ^ 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』、東京法経学院出版、2002年、569頁、
- ^ 朝日新聞1946年4月5日、なお東條の資産は10数万円であり、献金の事実はないとして収賄罪の追求は打ち切りになったという。
- ^ 山田は、自決失敗の批判について、代表的な日本人が敵の裁きを受けるような恥辱を見せて欲しくなかったからであり、日本人は東條をヒトラーのような怪物的な独裁者とは考えておらず、敗戦日本の犠牲者であるとも述べている(『戦中派不戦日記』9月17日)
- ^ 『河辺虎四郎回想録-市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』284頁、196頁
- ^ 『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫版590頁
- ^ 初代内閣安全保障室長の佐々淳行は「22口径を使って胸を撃つなんて銃について知っている人間にとっては笑い話」と述べており[要出典]、東京都知事の石原慎太郎も「阿南陸相も自刃して果てた。公家出身の近衛文麿にしてさえ毒を仰いだ。」「東条英機は、戦犯として収容にきたMPに隠れて拳銃で自殺を図ったが果たさずに法廷にさらされた。彼を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな。」と2005年(平成17年)9月5日産経新聞朝刊一面『日本よ』に書いて批判している。
- ^ 『映画監督 舛田利雄』シンコーミュージック、2007年、p325
- 1 東條英機自殺未遂事件とは
- 2 東條英機自殺未遂事件の概要
- 3 自決に対する異説
- 4 そのほか
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