東條英機自殺未遂事件 そのほか

東條英機自殺未遂事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:34 UTC 版)

そのほか

  • 1982年(昭和57年)公開の東映映画「大日本帝国」では、東條の自殺未遂の一件が描かれており、当時現存していた東條邸で撮影されている[32]

参考文献

  • 重光葵 『巣鴨日記』(文藝春秋昭和27年8月号掲載)
  • ロバート・J・ビュートー『東條英機(下)』時事通信社 1961年
  • 『昭和初年~10年代「週刊朝日」の昭和史 第1巻』朝日新聞社 1990年
    「東条大将の自決を目撃す」(『科学朝日』記者・長谷川幸雄、20・9・16/9・23)
  • 『証言 私の昭和史 6』東京12チャンネル 1969年
    長谷川幸雄「東条大将自決ならず!」(昭和44年10月21日放送)
  • 赤松貞雄『東條秘書官機密日誌』文藝春秋 1985年
  • 『「文藝春秋」にみる昭和史 第二巻』 文藝春秋 1988年
    東條勝子「戦後の道は遠かった」(39・6)
  • 東條由布子『東條家の母子草』恒文社21 2003年
  • 額田坦『最後の陸軍省人事局長 額田坦回想録』芙蓉書房出版 1999年
    『陸軍省人事局長の回想』(昭和52年刊)の抜粋再編集版
  • 『ニューズウィーク日本版別冊 激動の昭和』TBSブリタニカ、1989年。 

  1. ^ 太田尚樹『東条英機阿片の闇 満州の夢』、260頁、角川学芸出版、2009年
  2. ^ 当時の戸籍家制度であり、戸主のもとに一族全員の戸籍が編纂されていた
  3. ^ a b 朝日新聞1945年11月20日朝刊
  4. ^ 上法快男『東京裁判と東條英機』148頁
  5. ^ 『続 重光葵手記』298頁
  6. ^ a b c d e f g h i ロバート・J.C.ビュートー『東條英機(下)』第14章 名誉の失われし時(215-245頁)時事通信社 1961年
  7. ^ a b 『陸軍良識派の研究』131頁
  8. ^ a b c d 『額田坦回想録』芙蓉書房出版『陸軍人事局長の回想』(昭和52年版)改題再編版
  9. ^ 東条勝子「面影」、『敗者:東条英機夫人他戦犯遺族の手記』収録、46-62ページ
  10. ^ ビュートー 前掲書 222頁
  11. ^ 東條勝子「戦後の道は遠かった」(39・6)『「文藝春秋」にみる昭和史 第二巻』所収(99-111頁) 文藝春秋 1988年
  12. ^ 長谷川幸雄「東条大将自決ならず!」(1969年10月21日放送)『証言 私の昭和史 6』東京12チャンネル 1969年
  13. ^ 朝日新聞1945年9月12日朝刊。なお、原文の旧字、旧かな使いは現代語にしている。
  14. ^ 東條の秘書であった畑山の誤記
  15. ^ a b c 激動の昭和 1989, p. 268.
  16. ^ Find A Grave John A “Jack” Archinal”. 2022年1月29日閲覧。
  17. ^ 『続 重光葵手記』299頁
  18. ^ 1946年9月16日朝日新聞等
  19. ^ 『日本の100人 東条英機』
  20. ^ 太田尚樹『東条英機阿片の闇 満州の夢』、260頁、角川学芸出版、2009年
  21. ^ 大路直哉『見えざる左手』、三五館、1998年
  22. ^ 『東条英機阿片の闇 満州の夢』角川学芸出版、2009年
  23. ^ a b 『東條秘書官機密日誌』186-201頁
  24. ^ 『東條家の母子草』93-94頁
  25. ^ 『巣鴨日記』
  26. ^ 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』、東京法経学院出版2002年、569頁、
  27. ^ 朝日新聞1946年4月5日、なお東條の資産は10数万円であり、献金の事実はないとして収賄罪の追求は打ち切りになったという。
  28. ^ 山田は、自決失敗の批判について、代表的な日本人が敵の裁きを受けるような恥辱を見せて欲しくなかったからであり、日本人は東條をヒトラーのような怪物的な独裁者とは考えておらず、敗戦日本の犠牲者であるとも述べている(『戦中派不戦日記』9月17日)
  29. ^ 『河辺虎四郎回想録-市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』284頁、196頁
  30. ^ 『東條英機と天皇の時代』ちくま文庫版590頁
  31. ^ 初代内閣安全保障室長の佐々淳行は「22口径を使って胸を撃つなんて銃について知っている人間にとっては笑い話」と述べており[要出典]東京都知事石原慎太郎も「阿南陸相も自刃して果てた。公家出身の近衛文麿にしてさえ毒を仰いだ。」「東条英機は、戦犯として収容にきたMPに隠れて拳銃で自殺を図ったが果たさずに法廷にさらされた。彼を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな。」と2005年平成17年)9月5日産経新聞朝刊一面『日本よ』に書いて批判している。
  32. ^ 『映画監督 舛田利雄』シンコーミュージック、2007年、p325


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