李広 逸話

李広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 16:15 UTC 版)

逸話

桃李言わざれども下自ずから蹊を成す

李広は清廉な人物であり、泉を発見すれば部下を先に飲ませ、食事も下士官と共にし、全員が食事を始めるまで自分の分には手をつけなかったという。後に司馬遷はこの人柄について触れ、「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」(とうりものいわざれどもしたおのずからみちをなす)(桃や李(スモモ)の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる)と評した。

なお、日本の大学である成蹊大学大阪成蹊大学などの名はこれを出典とする。俳優松坂桃李の名前の由来のひとつでもある(読みがなは「とおり」)。

虎と見て石に立つ矢のためしあり

李広は虎に母を食べられて、虎に似た石を射たところ、その矢は羽ぶくらまでも射通した。のちに石と分かってからは矢の立つことがなく、のちに石虎将軍といわれた。このことを揚子雲にある人が話したところ、子雲は「至誠なれば則ち金石、為に開く」(誠心誠意で物事を行えば金石をも貫き通すことができる)と言った(『西京雑記』)。

小説水滸伝の登場人物で弓の名手である花榮は、この逸話になぞらえ「小李広」と呼ばれる。

家族

    • 李当戸 - 長男
    • 李椒 - 次男
    • 李敢 - 末子
    • 李陵 - 李当戸の末子
    • 李禹 - 李敢の嫡子

小説

関連項目


  1. ^ 『史記』(卷109):“李將軍廣者,隴西成紀人也。……廣家世世受射。孝文帝十四年,匈奴大入蕭關,而廣以良家子從軍擊胡,用善騎射,殺首虜多,為漢中郎。”“至莫府,廣謂其麾下曰;「廣結發與匈奴大小七十餘戰,今幸從大將軍出接單于兵,而大將軍又徙廣部行回遠,而又迷失道,豈非天哉!且廣年六十餘矣,終不能復對刀筆之吏。」遂引刀自剄。廣軍士大夫一軍皆哭。百姓聞之,知與不知,無老壯皆為垂涕。而右將軍獨下吏,當死,贖為庶人。”
  2. ^ 吉成 名高|設備・インストラクター・選手情報【エイワスポーツジム】”. masc.jp. 2024年2月23日閲覧。


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