恵運寺 概要

恵運寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 06:34 UTC 版)

概要

元和5年(1619年)、紀州藩初代藩主徳川頼宣が紀州に入封した際、家臣で参州室城(牟呂城)城主であった山本図書正春も随従。正春は、武功の誉れ高き顕祖長昌公のために禅寺一宇を建立し、長昌院と号した。正春がかねてより帰依していた天厳玄達大和尚も頼宣公の命により入紀し開山者となる。後に天子様の宝祚の長久、頼宣公の広厳無窮天下泰平長昌を祈念するため寺号を広厳寺とし、長昌院広厳禅寺となる。 更に寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っている。

境内

堂内

利用情報

  • 開門時間 : 6時 - 19時30分

交通アクセス

周辺

脚注


  1. ^ お寺の紹介”. 恵運寺. 2018年12月15日閲覧。
  2. ^ 恵運寺”. 恵運寺. 2018年12月15日閲覧。
  3. ^ 和歌山西国三十三箇所和歌山西国三十三箇所
  4. ^ [1]
  5. ^ [2]
  6. ^ [3]
  7. ^ [4]
  8. ^ [5]


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