忍海伊太須 忍海伊太須の概要

忍海伊太須

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/10 08:52 UTC 版)

経歴

続日本紀』によると、天平勝宝3年(751年)正月、孝謙天皇大極殿の南院に出御し、百官の主典以上のものが節会踏歌の宴を行った際に、歌頭・女孺として、同僚の錦部河内とともに従五位下を授けられている。河内同様、この時に、口頭で褒賞としてのを賜与されたものと思われる[2]

その後、淳仁朝天平宝字5年(761年)5月、光明皇太后の周忌斎伴奉の労により、同じく河内同様、従五位下に叙せられている。

官歴

続日本紀』による

脚注

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参考文献

関連項目


  1. ^ 『続日本紀』天平宝字5年6月26日条
  2. ^ 岩波書店『続日本紀 三』補注18 - 一六


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