広沢弁二 廣澤牧場

広沢弁二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/25 08:08 UTC 版)

廣澤牧場

養父が創始した廣澤牧場は廣澤の代でさらに規模を拡大した。廣澤牧場の功績について政府が作成した廣澤の功績調書には以下のように記述されている[6]

爾来今日に至る迄年々多数の優良産駒を生産し、地方産馬の改良に裨益する所尠からざるのみならず産駒中種牡馬として政府及地方庁等に買上げられたるもの又は競馬場裡に於て優秀なる成績を挙げたるもの極めて多く、本邦産馬の改良に資する所大なるものあり

馬以外では政府の委託で緬羊を生産し、各地に払下げも行っている。廣澤没時には、耕地整理を扱う地所部、五百町歩の規模を有す林業部なども組織されていた。牧畜部が有していた家畜は以下のとおりである[13]

  1. サラブレッドアングロアラブ、アングロノルマン 等の系統にある蕃殖牝馬61頭、種牡馬4頭、その他73頭
  2. 種牡牛1頭、蕃殖牝牛33頭、その他60頭
  3. 豚2頭、羊10頭、鶏100羽、その他七面鳥、兎、鶉

脚注

注釈
出典

参考文献

  1. 「功績調書」(画像8-11枚目)
  2. 「廣澤牧場事業内容」(画像12-13枚目)
  3. 「紅白綬有功章」(画像14枚目)
  4. 「履歴書」(画像15-17枚目)

関連項目

外部リンク


  1. ^ 禄18石4人扶持、斗南藩大属(勉強堂書店『慶應年間会津藩士人名録』)。
  2. ^ 獣医科の同級生に同郷の高嶺秀四郎がいる。高嶺は獣医官となり、のち正五位に叙されている。当時の駒場農学校は成績優秀かつ品行方正な者に官費教育が実施されたが、平均70点未満、あるいは60点未満の科目がある場合、または懲戒処分を受けたものは官費教育を取り消される規定があった(『駒場農学校一覧』15頁)。
  3. ^ 馬匹調査会については勅令第77号で、「農商務大臣の監督に属し馬政の整理及び馬匹の改良に関する事項につき農商務大臣の諮詢に応じ意見を開陳す」とその役割が規定されていた(『農商務省沿革略誌. 第2編』14頁)。
  4. ^ 「種馬牧場及種馬所監督に関する事務を掌」る官職で、定員は三名である(『農商務省沿革略誌. 第2編』18頁)。
  5. ^ 「農事蠶絲製茶畜産家畜衛生狩猟」を司る部署で、勅令第183号で新たな役割が定められた。
  1. ^ 「紅白綬有功章」
  2. ^ 『人事興信録』(第六版)
  3. ^ a b c d 勉強堂書店『斗南藩こぼれ草』「広沢辨二」
  4. ^ a b むつ小川原ガイド”. 公益財団法人むつ小川原産業活性化センター. 2014年7月9日閲覧。
  5. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』(大正15年)
  6. ^ a b c 「功績調書」
  7. ^ a b c d e f g h i j 「履歴書」
  8. ^ 競馬法ヲ定ム”. 国立国会図書館デジタルアーカイブ. 2014年7月9日閲覧。
  9. ^ 「会津会会員名簿」(大正6年8月発行)
  10. ^ 刊行物”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2014年7月9日閲覧。
  11. ^ a b 『衆議院要覧』(画像219枚目)
  12. ^ 『官報』第8142号、「叙任及辞令」1910年08月11日。
  13. ^ 「廣澤牧場事業内容」


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