布施伝右衛門 布施伝右衛門の概要

布施伝右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 06:35 UTC 版)

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経歴

慶長20年5月7日1615年6月3日)、天王寺・岡山の戦いでは岡山口において大野治房の元で新宮行朝岡部則綱、中瀬定純、二宮長範御宿政友らと布陣し、右先手を務めた[1][2]。兵数は50騎であった[3]。弟の布施大三郎は毘沙門池付近に布陣し、山里曲輪で防戦をした。[4]

参考文献


  1. ^ 徳富猪一郎 国立国会図書館デジタルコレクション 『家康時代 中巻 大阪役己篇』 第12巻 民友社〈近世日本国民史〉、1946年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223807/156 国立国会図書館デジタルコレクション 
  2. ^ 戦国細川一族: 細川忠興と長岡与五郎興秋 - 274p
  3. ^ 日本戦史:大阪役
  4. ^ 多聞寺討伐


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