二宮長範とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 二宮長範の意味・解説 

二宮長範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 16:01 UTC 版)

 
二宮長範
時代 安土桃山時代-江戸時代初期
生誕 不明
死没 1615年慶長20年5月7日
別名 通称:与三右衛門 官名:采女
主君 織田信雄小早川秀秋豊臣秀頼
テンプレートを表示

二宮 長範(にのみや ながのり)は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。別名に市瀬与右衛門

経歴

はじめ織田信雄に仕える。信雄に仕えていた頃の詳細は不明だが、とある合戦にて敵を討つ功を挙げている。のちに小早川秀秋に使番として仕え、関ヶ原の戦いのときの働きにより秀秋から褒賞された。1602年慶長7年)に秀秋が亡くなると牢人の身となったが、やがて大坂の陣が起こると大坂に入城し、大野治房の組に所属した。12月17日、本町橋の夜討ちに参加。出撃の際に本来であれば塙直之の配下、大野治房の配下、長岡是季の配下の順で橋を渡るはずだったが、長範は功を焦って抜け駆けをし、最初に橋を渡って長谷川小右衛門なる者と槍を合わせている。夏の陣における天王寺・岡山の戦いにて御宿政友や中瀬定純らと共に岡山方面に布陣(『大坂御陣覚書』)し、同合戦にて討死した。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二宮長範」の関連用語

二宮長範のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二宮長範のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二宮長範 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS