川端駅 (奈良県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 06:21 UTC 版)
利用状況
1958年度(昭和33年度)の年間発送トン数は44,892トンで、パルプ材、一般木材、鉱石などが主であった。同年の年間到着トン数は19,756トンで、セメント、機械などが主であった[23]。この時代の本でも、鉱石、砂利、木材が主な需要であるとされている。砂利は、近くの河原で採取されてトラックで搬入され、築堤の上から貨車に流し込んで積み込む作業が行われていた[24]。廃止直前は、貨物列車の運転は1日2往復であった[22]。
駅周辺
周辺は工業地となっており、少し南へ離れた所を紀の川(吉野川)が流れる。北側に集落があり、北西に進むと大和二見駅(JR和歌山線)に至る。
- 五條市青ネギ生産組合[25]
- 柏田木材工業[26]
- 二見城跡 - 松倉重政が1万余石の大名として1608年(慶長13年)に入城し、商売を行いやすくして地域発展の基礎を築いた[27]。西方寺(五條市新町)には松倉の頌徳碑がある[27]。
- 五条陣屋跡
- 妙住寺 - 日蓮正宗の寺院[28]。
- 二見川端児童公園
- 紀の川(吉野川)
現状
鉱石積込線付近は片側1車線の道路に、砂利積込線は砂利を扱う会社の事業所に、駅母屋付近は木材を扱う会社の所有地(貯木場・倉庫など)となった。木材積込線は長きにわたって細い路地がそのまま残っていたが、2022年9月までに片側1車線の道路が整備された。2013年頃は一部区間に線路が残存した箇所があったが、後に舗装工事が行われた。2022年9月時点では舗装工事が完了し、残存していた線路はなくなった。
脚注
- ^ a b c d 『関西鉄道史』pp.161 - 162
- ^ a b c “日本国有鉄道公示第112号”. 官報. (1982年9月30日)
- ^ a b c d 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻 p.364
- ^ a b 『紀和鉄道沿革史』pp.69 - 70
- ^ 『紀和鉄道沿革史』p.19
- ^ 『紀和鉄道沿革史』p.68
- ^ a b 『紀和鉄道沿革史』p.71
- ^ a b 『紀和鉄道沿革史』pp.72 - 77
- ^ 『紀和鉄道沿革史』pp.67 - 68
- ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻 pp.361, 364
- ^ “官報第五六七五号 明治三十五年六月六日”. 大蔵省印刷局 (1902年6月6日). 2013年5月11日閲覧。
- ^ a b 『関西鉄道史』p.167
- ^ a b c d 『関西鉄道史』p.491
- ^ “五条町の大貯木場 集散する吉野材年額百二十万円”. 大阪朝日新聞(神戸大学新聞記事文庫) (1917年9月24日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ “関西線と神戸 (四)”. 神戸又新日報(神戸大学新聞記事文庫) (1913年2月25日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ 『日本近代の架空索道』p.139
- ^ 『日本近代の架空索道』pp.141 - 142
- ^ a b 『日本近代の架空索道』pp.142 - 143
- ^ 『日本近代の架空索道』p.145
- ^ a b c 『日本近代の架空索道』p.147
- ^ a b 『シーナリィ・ガイド』p.106
- ^ a b c 市長公室庶務課 編『広報五條 第761号』(PDF)五條市、2012年3月、16頁 。
- ^ 『五條市史』上 p.155
- ^ 『シーナリィ・ガイド』pp.106 - 107
- ^ “五條市青ネギ生産組合”. 五條市青ネギ生産組合. 2022年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
- ^ “柏田木材工業”. 柏田木材工業. 2023年12月2日閲覧。
- ^ a b “松倉重政 紙芝居”. 五條市. 2022年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
- ^ “妙住寺 | 奈良県五條市”. 八百万の神. INFO UNITE. 2015年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
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