川崎市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 02:01 UTC 版)
歴史
市成立前
原始以前
北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。
古代
7世紀に律令体制の整備により武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の一部となり、奈良時代には現在の高津区に郡衙が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。
中世
前述の稲毛氏の一族稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また大治3年(1128年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。
近世
慶長16年(1611年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。二ヶ領用水で潤った水田で生産された米は稲毛米と呼ばれ、江戸で寿司飯として人気となる。また江戸幕府が成立したことで東海道や中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる元和9年(1623年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道の丸子の渡し、大山街道の二子の渡し、津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京への鉄道が建設される宿場町が形成された。
近代
明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 日本最初の鉄道開業(現東海道線)に伴い川崎駅が設置される。その後、郵便・電気などの公共サービスが整備される。
- 1883年(明治16年) - 多摩川に六郷橋がかかる。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により、後の市域を形成する橘樹郡川崎町、及び12か村(うち2村は都筑郡)が成立。
- 1893年(明治26年) - 大師河原村(現川崎区)の当麻辰二郎が梨の新種「長十郎」を発見(ただし発見年には諸説あり)。
- 1899年(明治31年) - 大師電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が大師線の一部を開業する。以後、品川や横浜に向けて路線を延長していく。
- 1910年(明治43年) - 日本蓄音機商会(現在は日本コロムビア)が川崎町で創業。
- 1912年(明治45年) - 神奈川県と東京府(現東京都)との境界が多摩川を境に整理される。
- 1912年(明治45年) - 日本鋼管(後にNKK、現在はJFEスチール)川崎製鉄所が設立。臨海部の工業化が開始される。
- 1914年(大正3年) - 川崎〜溝口(当時は高津村)間での乗合馬車運行が始まる。
- 1914年(大正3年) - 味の素川崎工場が設置される[10]。
- 1921年(大正10年) - 川崎町で上水道整備が始まる。
市成立後
近代
- 1924年(大正13年)7月1日 - 2町1村が合併して市制施行。市域は現在の川崎区西部と幸区東部。人口4万8394人。
- 1926年(大正15年)2月14日 - 東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が小杉町内で開業。
- 1927年(昭和2年)3月9日 - 南武鉄道(現在のJR南武線)川崎駅 - 登戸駅が開業。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田急小田原線が全線開通、稲田登戸駅(現向ヶ丘遊園駅)が開業。
- 1927年(昭和2年)7月15日 - 玉川電気鉄道溝ノ口線(現東急田園都市線)開業。
- 1930年(昭和5年) - 富士瓦斯紡績(現在の富士紡ホールディングス)川崎工場での労働争議で煙突男が出現。
- 1934年(昭和9年) - 「川崎市歌」を制定。
- 1935年(昭和10年)1月7日 - 水道水が汚染され赤痢患者が大量発生(川崎市の赤痢 (1935年))。同月末までの発病者は1357人[11]。
- 1935年(昭和10年)7月22日 - 川崎駅前にあった京浜デパートに20数名の暴漢が侵入して店内を破壊。後に大規模店の進出に反対していた川崎小売商店連盟メンバーら80余人が検挙された[12]。
- 1937年(昭和12年) - 陸軍の研究所が現多摩区の生田村(1938年に川崎市へ編入)へ移転。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 都筑郡の分割併合により埋立地を除き現在の市域が確定。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 味噌と醤油の配給制度が始まる(横浜市、横須賀市、藤沢市、平塚市、鎌倉市、小田原市も同日から開始)[13]。同時に衣料品にも点数切符制が導入された。
- 1944年(昭和19年)10月14日 - 川崎市電が開業。
- 1945年(昭和20年)4月15日 - 川崎大空襲。川崎駅周辺の市街地や臨海部の工業地帯、寺社仏閣の川崎大師などに大きな被害が出る。
現代
- 1946年(昭和21年) - 初の民選市長として金刺不二太郎が当選。
- 1947年(昭和22年) - 戦後第1回市議会招集。
- 1948年(昭和23年) - 現多摩区に日本女子大付属中学・高校[注釈 3]が開校
- 1951年(昭和26年) - 現多摩区に明治大学生田校舎が開設。
- 1952年(昭和27年) - 現川崎区の富士見公園内に川崎球場(当時は川崎スタジアム)が開場。
- 1952年(昭和27年) - 向ヶ丘遊園が遊具施設を充実し有料化。
- 1957年(昭和32年) - 現多摩区に専修大学生田校舎開設。
- 1957年(昭和32年) - 人口が50万人を突破。この頃から市北西部が首都圏住民の良好な住宅地として人気を博すようになり、政令市に指定されるまでに人口が急増する主因となった。このため、東京都心部へ向かう通勤・通学電車のラッシュは、全国有数の混雑となる。
- 1960年(昭和35年) - プロ野球・大洋ホエールズが日本シリーズで優勝し、市内でパレードを行う。
- 1964年(昭和39年) - 多摩区によみうりランドが開業。西生田駅が読売ランド前駅に、東生田駅が生田駅に改称。
- 1966年(昭和41年) - 東急田園都市線溝の口駅 - 長津田駅が開業。
- 1967年(昭和42年) - 現多摩区に日本民家園が開園。公営施設としては北部地域初の大規模文化施設。
- 1967年(昭和42年) - 多摩区(現在の麻生区)東百合丘に調布学園女子短期大学が開設。
- 1968年(昭和43年)4月25日 - 東名高速道路が開通し、東名川崎IC(現宮前区)開設。
- 1968年(昭和43年) - 市営鷺沼プールがオープン。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 市電が全廃。
- 1971年(昭和46年) - 第2代の民選市長に伊藤三郎が当選し、革新自治体の一員となる。
- 1971年(昭和46年) - かわさきおやこ劇場設立
- 1971年(昭和46年) - 生田緑地に川崎市青少年科学館開設。
- 1971年(昭和46年) - 現宮前区菅生に聖マリアンナ医科大学開設。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 政令指定都市に指定され、川崎、幸、中原、高津、多摩の5区が設けられる[注釈 4]。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市公害防止条例を施行する。夢見ヶ崎動物公園が開園。
- 1974年(昭和49年) - 人口が100万人を突破。
- 1974年(昭和49年) - 小田急多摩線が開通、新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅が開設。
- 1974年(昭和49年) - 多摩区(現麻生区)で京王相模原線に若葉台駅が開設。
- 1976年(昭和51年) - 全国に先駆けて「川崎市環境影響評価に関する条例」を制定し環境アセスメントを開始した。
- 1978年(昭和53年) - 大洋ホエールズの横浜移転により、ロッテオリオンズが川崎球場をフランチャイズとする。
- 1978年(昭和53年) - 第1回かわさき市民祭りを開催。
- 1979年(昭和54年) - 政令指定都市移行を記念して高津区に川崎市民プラザ開設。
- 1980年(昭和55年) - 国鉄横須賀線の新川崎駅が開業、川崎駅を経由しなくなる。自動車の川崎ナンバーが誕生。
- 1982年(昭和57年) - 人口増加に伴い、高津区から宮前区を、多摩区から麻生区を分区し、7区制になる。
- 1982年(昭和57年) - 第1次川崎公害訴訟が提訴され、大気汚染について国や首都高速道路公団、各企業の責任が追及される。
- 1984年(昭和59年) - 「川崎市民の歌」を制作・発表。
- 1985年(昭和60年) - 川崎市男女共同社会をめざす計画を発表。
- 1986年(昭和61年) - 川崎駅東口に地下街川崎アゼリアが開業。
- 1986年(昭和61年) - 新百合ヶ丘駅前に日本映画学校が開校。
- 1987年(昭和62年) - 日本初のシネマコンプレックスと称するチネチッタが開業。
- 1988年(昭和63年) - 川崎駅西口の再開発を巡ってリクルート事件が発覚[注釈 5]。
- 1988年(昭和63年) - 川崎市市民ミュージアム・ふれあい館・産業振興会館を開館。
- 1989年(平成元年) - かながわサイエンスパーク(KSP)が高津区に設置される。
- 1989年(平成元年) - 4月11日に高津区のある竹林で1億円の札束が発見される(竹やぶ騒動)。
- 1990年(平成2年) - 市民オンブズマン制度が発足。
- 1991年(平成3年) - ロッテオリオンズが千葉に移転し、川崎球場を本拠とするプロ野球チームが消滅する。
- 1991年(平成3年) - 毎月1日を「ノーカーデー」と定める。
- 1992年(平成4年) - 新百合ヶ丘駅南口にエルミロード[注釈 6]がオープンする。
- 1993年(平成5年) - Jリーグが開幕、ヴェルディ川崎が等々力陸上競技場を本拠地にする。後期優勝しJリーグ初代年間王者に。
- 1994年(平成6年) - 市のシンボルマークが決まる。
- 1995年(平成7年) - とどろきアリーナがオープン。ポイ捨て禁止条例がスタート。
- 1996年(平成8年) - 市職員採用試験の国籍条項を撤廃。かわさき市民放送開局。外国人市民代表者会議を設置。
- 1997年(平成9年) - 富士通川崎サッカー部がプロ化し川崎フロンターレが誕生。
- 1997年(平成9年) - 東京湾アクアラインが開通。これにより千葉県とも隣接するようになった。
- 1998年(平成10年) - 麻生区の新百合ヶ丘駅周辺地区が、建設省の都市景観大賞を受賞する。
- 1999年(平成11年) - 川崎公害訴訟が和解により決着する。岡本太郎美術館がオープン。
- 2000年(平成12年) - 慶應義塾大学が新鶴見信号場跡地に新川崎タウンキャンパスを開設。
- 2000年(平成12年) - 川崎球場スタンド撤去工事。翌年改修工事終了。
- 2001年(平成13年) - 川崎市子どもの権利に関する条例を施行。
- 2002年(平成14年) - 川崎市行財政改革プランを発表。
- 2002年(平成14年) - シネマコンプレックスのチネチッタがラ チッタデッラとしてリニューアル。この頃から川崎駅周辺再開発が加速。
- 2002年(平成14年) - 向ヶ丘遊園が閉園。
- 2003年(平成15年) - 高津区に「川崎市 子ども夢パーク」がオープン。
- 2004年(平成16年) - 麻生区に小田急多摩線はるひ野駅が開設。
- 2004年(平成16年) - 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度制定。
- 2004年(平成16年) - 川崎駅西口にミューザ川崎シンフォニーホールが開設される。
- 2005年(平成17年) - 路上喫煙の防止に関する条例を制定。重点禁止区域内での路上喫煙に過料2000円を課す事になった。
- 2006年(平成18年) - 多摩区に市立多摩病院が開院。
- 2006年(平成18年) - 川崎駅西口にラゾーナ川崎プラザが開業。
- 2007年(平成19年) - 麻生区に昭和音楽大学が厚木市から移転。
- 2007年(平成19年) - 麻生区に川崎市アートセンターオープン。
- 2007年(平成19年) - 第3回アメリカンフットボール・ワールドカップが開催される。
- 2007年(平成19年) - 成人ぜんそくの川崎公害の患者の医療費助成制度が開始される。
- 2008年(平成20年) - 東急電鉄が川崎市から購入した宮前区の土地の土壌汚染に関し、公害等調整委員会が市に損害賠償支払いを命じる[注釈 7]。
- 2011年(平成23年) - 多摩区に藤子・F・不二雄ミュージアム開館。
- 2011年 (平成23年) - モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさきが市民の誘致により実現[注釈 8]。
- 2012年(平成24年) - ドラえもん誕生100年前を記念し、ドラえもんに「特別住民票」を交付。
- 2012年(平成24年) - 東京地裁、土壌汚染訴訟で川崎市側に責任なしと東急電鉄の訴えを棄却[14]。
- 2014年(平成26年) - 川崎球場が川崎富士見球技場(富士通スタジアム川崎)に改称。
- 2016年(平成28年) - 南武線(浜川崎支線)小田栄駅が開業。
- 2017年(平成29年) - 4月24日現在の人口が1,500,052人に達し人口150万人を突破したと発表。
- 2017年(平成29年) - 川崎フロンターレがJ1リーグ初優勝。
- 2019年 (令和元年) 新庁舎(高層棟及び低層棟)の着工。2023年(令和5年)に使用開始予定。
- 2019年 (令和元年) 5月22日 - 神戸市を抜き人口国内6位の市となる[15]。
- 2019年 (令和元年) 12月12日- ヘイトスピーチに対して罰金刑という刑事罰を設けたヘイトスピーチ条例が全国で初めて制定される。
- 2022年 (令和4年) 3月 - 羽田空港と川崎区を直結する多摩川スカイブリッジが開通。
行政区域の変遷
- 1924年7月1日:橘樹郡川崎町、御幸村、大師町が合併して市制施行。
- 1927年4月1日:橘樹郡田島町を編入。
- 1933年8月1日:橘樹郡中原町を編入。
- 1937年4月1日:橘樹郡高津町及び日吉村の一部を編入。日吉村の一部は横浜市に編入。
- 1937年6月1日:橘樹郡橘村を編入。
- 1938年10月1日:橘樹郡稲田町、向丘村、宮前村及び生田村を編入。橘樹郡が消滅。
- 1939年4月1日:都筑郡柿生村及び岡上村を編入。都筑郡が消滅。
- 1975年2月15日:横浜市港北区日吉町字新川向の一部(矢上川左岸)を編入、川崎市幸区南幸町3丁目の一部(尻手駅西側)を横浜市に編入。埋立地以外で現在の市境が確定。
この他、明治以降の埋め立ての進行で市域は海に向かって拡大している。
注釈
- ^ 政令指定都市では、12,208人/km2の大阪市に次いで2位。
- ^ a b 川崎駅や武蔵小杉駅などからバス利用が便利。
- ^ 現在の日本女子大学西生田キャンパス。
- ^ 非道府県庁所在地では北九州市に次いで二つ目の政令指定都市。
- ^ 当時の川崎市助役へのリクルート社からのリクルートコスモス株譲渡による利益供与が明らかになり、やがて中央政界に影響が波及する。
- ^ テナントのイトーヨーカドー新百合ヶ丘店は全国売り上げナンバーワンを記録。
- ^ 東急側は「1960年代後半から70年頃に川崎市が鉛を含む焼却灰などを搬入したことが汚染原因」などと、市が汚染の原因者であると主張していた。
- ^ 2014年まで実施。
- ^ その後2019年9月30日に相模原市の伊勢丹相模原店が閉店したことにより、現在は川崎市のほか相模原市も百貨店のない政令指定都市となっている。
- ^ 旧三菱石油・日本石油→新日本石油、旧東燃→東燃ゼネラル石油
- ^ 矢向事業所・川崎事業所・玉川事業所・小杉事業所
- ^ 市域内の路線は主に貨物線として利用され、旅客駅はない。旅客営業は臨時列車のみ。
- ^ a b 本来の大井町線側には二子新地駅・高津駅にホームがなく、各駅停車(G各)は両駅を通過する。両駅に停車するのは二子玉川駅 - 溝の口駅間で田園都市線を走行する各駅停車(B各)に限られる。
- ^ 現在でも神奈川県道140号川崎町田線の一部が「市電通り」と呼ばれている。
- ^ 8月28日から遊園地→大駐車場→サッカー場→スカイロード→遊園地の周回コースで環状軌道となっている。当時世界最長のモノレール・日立アルヴェーグ式で、園内遊具扱ではなく、地方鉄道法の免許を受けた「交通機関」であった。
出典
- ^ 熊本市PDF資料(P3参照)
- ^ 川崎市:財政状況資料集(令和元年度決算)
- ^ “【初詣】はいつからいつまで?正しい参拝方法や起源を徹底解説”. THE GATE. 2022年10月31日閲覧。
- ^ プレスマンユニオン編集部 (2019年12月18日). “初詣 人気&人出 ランキング 全国ベスト20”. ニッポン旅マガジン. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “川崎市の”. 川崎市の昼間人口. 2020年9月15日閲覧。
- ^ “川崎市プロフィール”. 2023年1月22日閲覧。
- ^ “川崎市麻生区:地形”. www.city.kawasaki.jp. 2022年6月28日閲覧。
- ^ “川崎市の世帯数・人口、区別人口動態、区別市外移動人口(令和2年9月1日現在)”. 川崎市. 2021年3月26日閲覧。
- ^ “外国人国籍地域別統計(オープンデータ)(令和2年度分)”. 川崎市. 2021年5月8日閲覧。
- ^ 味の素グループ年表|社史・沿革
- ^ 村島鐵男. “川崎市に爆發流行せる赤痢の病原菌竝に、菌検出率に就いて”. 日本感染症学会. 2020年2月9日閲覧。
- ^ 川崎の小売商が結束、デパートを襲撃『東京朝日新聞』昭和10年7月23日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p99 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 六大府県で味噌、醤油の割当配当(昭和17年1月8日 朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p124 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 川崎・土壌汚染訴訟で市側に責任なしと東京地裁、東急の訴え棄却/神奈川新聞・カナロコ
- ^ “川崎市の人口が6位に 政令市で神戸抜き、次は福岡”. 産経新聞. (2019年5月22日). オリジナルの2019年5月22日時点におけるアーカイブ。 2019年10月30日閲覧。
- ^ 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- ^ “武蔵小杉の西武・そごう閉店へ 高級路線では客足伸びず”. 朝日新聞. (2017年5月17日) 2018年1月13日閲覧。
- ^ “西武・そごう武蔵小杉SHOP 営業終了のお知らせ”. そごう・西武. 2018年1月13日閲覧。
- ^ “下水道事業の概要”. 川崎市. 2019年8月7日閲覧。
- ^ “川崎市:羽田連絡道路整備事業について”. 2019年3月27日閲覧。
- ^ 大田区vs川崎市 「多摩川スカイブリッジ」開通の裏にあった、知られざる対決の歴史とは Merkmal 2022年7月27日
- ^ “武蔵小杉が「デジモンアドベンチャー:」の舞台!?”. 川崎市中原区. 川崎市中原区 (2021年). 2022年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月19日閲覧。
- ^ “川崎市麻生区:麻生区イメージソング 『かがやいて麻生』”. 川崎市. 2016年3月12日閲覧。
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