山田匡通 山田匡通の概要

山田匡通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 15:34 UTC 版)

山田 匡通(凌雲)

略歴

学歴

1940年5月5日、山田耕雲(山田匡蔵、のち東京顕微鏡院理事長)の子として満洲に生まれる[1]

1964年慶應義塾大学経済学部を卒業。1969年三菱銀行在職中にハーバード・ビジネス・スクールを修了(MBA)。

職歴

1964年に旧三菱銀行に入行。1991年常務に就任し、東京銀行との合併を主導[2]。合併後、専務を経て、2002年に三菱証券(現、三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に出向して社長、のちに会長に就任[2]。2004年に東京急行電鉄常勤監査役を経て、2005年にイトーキ取締役、2007年に同会長就任。並行して2007年に東京顕微鏡院理事長、翌2008年にこころとからだの元氣ブラザ理事長に就任[3]。2017年より日本ファシリティマネジメント協会会長。

禅歴

小学生の頃より父に坐禅を指導され、1956年に安谷白雲に師事、1964年に見性[2]、1978年に父の下で罷参(立職)、1991年に窪田慈雲に嗣法、三宝禅指導者(正師家)となり[4]、2004年に4代目管長に就任。以降、参禅者やビジネスマンに禅を指導し、2010年代後半からはマインドフィットネスを提唱。2018年には宗教法人名を三宝教団から三宝禅に改称した[5]

家族

父は三宝禅2代管長で東京顕微鏡院元理事長、日本油脂常務の山田耕雲[6]、母は医師で東京顕微鏡院名誉理事長の山田和江、姉は元朝日ジャーナル編集長下村満子、弟の山田洋輔は三菱化学副社長。

弟子

佐藤研(窮雲軒佐藤研眞、立教大学名誉教授、三宝禅指導者)

著作物

  • 『マインドフィットネス入門 - 禅の瞑想によってあなたとあなたのビジネスが生まれ変わる - 』(ダイヤモンド社、2021年)

雑誌

その他

山田家は二本松藩家老の家柄である[6]

参考文献

  • 山田匡通「母の教え35回-父と母から教えられた『禅』。禅がわたしの人生の支えです-」(『財界』62-23号、2014年11月)
  • 山田匡通「他人の幸せは自分の幸せと感じるように」(『プレジデント』2022年9月16日号、プレジデント社、2022年)

外部リンク

先代
窪田慈雲
三宝禅管長
第4代:2004 -
次代

  1. ^ 三宝禅>略史より。山田匡通「他人の幸せは自分の幸せと感じるように」(『プレジデント』2022年9月16日号所収)では福島県出身としている
  2. ^ a b c 山田匡通「他人の幸せは自分の幸せと感じるように」(『プレジデント』2022年9月16日号所収)
  3. ^ 東京顕微鏡院>現理事長の顔
  4. ^ 宗教情報リサーチセンター>データベース(新)>三宝教団
  5. ^ 三宝禅>公告
  6. ^ a b 山田匡通「母の教え35回-父と母から教えられた『禅』。禅がわたしの人生の支えです-」(『財界』62-23号、2014年11月)


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