山本とみ 関係者

山本とみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 23:38 UTC 版)

関係者

  • 山本ヒデ
    山本 とみの母親である。女性の体位向上と服装の改革と洋装普及の活動をした[6]1919年(大正8年)欧米各国を視察後、大日本婦人洋装普及会を組織し、各地で講習会を開く。大阪市東住吉区山坂4丁目4-3に事務所を開設する。1926年(大正15年)大日本婦人洋装普及会の活動を続けると共に、事務所に塾を開く。1930年(昭和5年)塾を、山本洋裁女学院として、組織を拡大。初代校長に就任。1934年(昭和9年)山本洋裁女学院として、各種学校の認可を大阪府より受ける。1940年(昭和15年)作品発表会を美津濃百貨店で開催。以後毎年行っている。1942年(昭和17年)山本服装女学校に改称。1946年(昭和21年)財団法人の認可を受ける。1951年(昭和26年)学校法人山本学園として認可を受ける。山本服装専門学校と改称。1953年(昭和28年)死去。
  • 山本武夫 - 学校法人山本学園初代理事長。
  • 奥尾三紗子 - 山本とみの三女である。ファッションデザインルームOKUO代表。文化服装学院オープンカレッジ講師。

関連項目


  1. ^ 山本登美子 『服装文化私論』 山本服装専門学校、1976年、P.295-296
  2. ^ 山本登美子 『服装文化私論』 山本服装専門学校、1976年、P.307
  3. ^ 山本登美子 『真理の服装』 山本服装専門学校、1941年
  4. ^ 山本登美子 『服装文化私論』 山本服装専門学校、1976年、302頁
  5. ^ 山本登美子 『服飾文化私論』 山本服装専門学校、1976年、310頁
  6. ^ 山本登美子 『服装文化私論』 山本服装専門学校、1976年 P.241-242


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