尹盛桓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 10:24 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 釜山広域市 |
生年月日 | 1981年10月8日(42歳) |
身長 体重 |
183 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 2次ドラフト1巡目 |
初出場 | 2004年4月4日 |
最終出場 | 2020年8月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 大韓民国 |
この表について
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ユンソンファン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 윤성환 |
漢字: | 尹盛桓 |
発音: | ユン・ソンファン |
ローマ字: | Yoon Seong-Hwan |
経歴
地元球団であるロッテを希望したが、サムスンから指名された。監督の宣銅烈が彼の素質を見込み、ロッテも張元準(チャン・ウォンジュン)を指名し、入団。1年目の2004年、オープン戦から好調でシーズン開幕後は中継ぎとして活躍。リーグ3位の17ホールドを挙げる。9月に兵役不正事件に関与したことが発覚し、出場停止となりシーズン終了後兵役を受けることに。
2007年から復帰。無敗で防御率1.04と、チームの中継ぎエースとして活躍。
2008年から先発へ転向。プロ入団以後初めて2桁勝利を収め、鄭現旭と共にチーム最多勝投手になった。
2009年は開幕投手になり、その4月4日の開幕戦でLGのエース奉重根と投げ合い勝利。7月30日のLG戦で初完投勝利を記録するなど、LG戦だけで完投勝利を2回記録し、かなりLGとは相性が良かった。 主軸選手たちがケガにより登録を抹消される中でエース級の活躍を見せ、結果的にロッテの趙正勳(チョ・ジョンフン)、起亜のアキリーノ・ロペスとともに最多勝(1救援勝)を記録。
2010年は、シーズン途中に太ももを負傷し完治後も1軍と2軍を行き来する形となる。ポストシーズンにも出場せず昨年と対照的に不本意なシーズンに終わる。
2011年は復活を遂げ、チーム最多の14勝を記録し、韓国シリーズ優勝に貢献した。
2013年、2014年と2年連続2ケタ勝利でサムスンの韓国シリーズ4連覇に貢献し、2014年オフFAを行使し4年契約で三星に残留した。
2015年は自己最多の17勝を記録し、10月7日、第1回WBSCプレミア12の韓国代表選手28名に選出されたことが発表された[1]。だが10月25日、個人的問題でプレミア12韓国代表から外れ、同年の韓国シリーズにも出場しないことになり、サムスンは韓国シリーズ5連覇を逃した。
2020年は兵役の2年間を除いてプロ入り後初めて未勝利に終わり、11月16日、サムスンより自由契約選手となり[2]、12月2日に発表された2021年保留選手名簿から外された[3]。
プレースタイル
落差が非常に大きいカーブを最大の武器とする技巧派。 ストレートは平均140km前半、MAX148kmと速くはないが、制球に優れる。変化球はカーブとスライダーを主に使う。元起亜の金相顯(キム・サンヒョン)とともに韓国屈指のカーブボーラーとして知られている。2008年シーズン以後はスライダーにも切れが増し、速球とカーブで緩急主体の投球内容。
- ^ 2015 프리미어12 국가대표팀 최종 엔트리 명단 발표[リンク切れ] The official site of Korea Baseball Organisation (朝鮮語) (2015年10月10日) 2015年10月21日閲覧
- ^ https://www.samsunglions.com/intro/intro02.asp?act=view&idx=851533&page=1&keyword=&search=
- ^ https://www.koreabaseball.com/News/Notice/View.aspx?bdSe=7927
固有名詞の分類
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