小幡藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 05:43 UTC 版)
小幡藩(おばたはん)は、上野国甘楽郡の「小幡領」と呼ばれた地域を治めた藩、ないしは小幡領のうちの小幡村(現在の群馬県甘楽郡甘楽町小幡)を居所とした藩[1]。17世紀初に織田氏が入って最初は福島村に、17世紀半ば以降は小幡村の小幡陣屋(小幡城)に藩庁を置いた。織田氏が7代約150年で転出すると、奥平松平家が入り、廃藩置県まで4代約100年続いた。
注釈
出典
- ^ a b c “小幡藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク収録). 2022年2月5日閲覧。
- ^ a b “小幡郷(中世)”. 角川日本地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “甘楽町の歴史をたどる”. 甘楽町. 2022年2月5日閲覧。
- ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 144.
- ^ a b c “小幡藩(近世)”. 角川日本地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
- ^ a b c 『日本史広辞典』, p. 巻末82.
- ^ 『日本史広辞典』, p. 371.
- ^ 「羽前天童織田家譜」など
- ^ 織田家は織田信秀以来の「勤皇」を自負している。のちに同族の織田秀親は、勅使饗応(作法指南は畠山義寧)を同役の前田利昌に厳しく指導し斬殺されている。
- ^ 「嘉永慶応 江戸切絵図」(尾張屋清七板)
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