宇宙戦艦ヤマトIII
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 05:22 UTC 版)
メディア展開
この節の加筆が望まれています。 |
漫画(コミカライズ)
- 宇宙戦艦ヤマトIII
- 増尾隆之によるコミカライズ。1981年の5月および7月に、朝日ソノラマのサンコミックスより全2巻描き下ろしで刊行[16]。
- 宇宙戦艦ヤマトIII
- 愛沢ひろしによるコミカライズ。冒険王の80年11月号から81年8月号まで連載[17]。長らく単行本化されていなかったが、2018年10月発売の『宇宙戦艦ヤマト2 冒険王オリジナル復刻決定版 下』にて掲載された。
小説
- 『宇宙戦艦ヤマトIII 1、2』文:若桜木虔、監修:西崎義展(集英社文庫コバルトシリーズ、1981年5月15日)
- 『宇宙戦艦ヤマトIII』文:三浦清史、監修:西崎義展(集英社モンキー文庫、1981年6月)
- 『宇宙戦艦ヤマトIII 1、2、3』(ヤマト大全集10、11、12)構成:西崎義展(朝日ソノラマ)
ビデオソフト
この節の加筆が望まれています。 |
その他
本作では新しい技術として、アルゴンレーザーを用いた透過光が使われている(第12話の収容所の柵など)[18]。気体の特性から透過光マスクから回折、散光するので光の粗密部分が生じ、立体感のある光学合成となっている。これは通常の透過光よりさらに非常な手間と費用がかさむ演出で、次作『宇宙戦艦ヤマト 完結編』以降はヤマト以外のアニメ作品を含めてもほとんど使われていない手法である。デジタルアニメにおいては同様の効果を持つエフェクトも存在していないのが現状である。
本作のヤマトは、前作劇場版『ヤマトよ永遠に』から引き続き、艦首と艦体後部に錨マーク、主砲に参戦章が付いたデザインとなる(次作『完結編』では錨マークが消える)。
本作では宮川泰の実子である宮川彬良が本名の宮川晶の名でBGMの一部を担当している。「第18機甲師団」[注 10]と「バーナード星の戦闘」[注 11]がそれである。「第18機甲師団」はタイトルにあった「18」が自分のラッキーナンバーだったことで気分が高揚し、敵側の音楽とは気付かずに書いてしまい、ヒロイックな曲調になっている[注 12][信頼性要検証]。
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』から顕著になる「宇宙服を着用せずに宇宙空間に出ても生きている」描写は本作でもフラーケンの登場シーンで描かれそうになったが、本作から参加した出渕裕によって宇宙服ありに変更された[19]。
脚注
注釈
- ^ 普通のアニメなら十分な視聴率であるが、「ヤマト」というビッグネームに期待されたハードルはさらに高かったのである。[独自研究?]さらに春以降に放送を継続した場合に放送枠が競合するプロ野球巨人戦に比べれば低視聴率である。
- ^ なお、この事前番組は、広島テレビでは広島県域ローカルのプロ野球中継(広島東洋カープ対ヤクルトスワローズ、第24回戦)のため9月27日(土曜日)13:00 - 14:25に遅れネットで放送する予定が組まれていた(出典:産経新聞・読売新聞・各岡山版、1980年9月25・27日、テレビ・ラジオ欄)。ただし当該試合は中止となったため、27日の各新聞の番組欄は25日中止時の別番組への差し替えを忘れたものか、25日に別のローカル特別番組を放送して、当初の予定通り27日に放送したのか、25日に放送した後改めて27日にも放送したのかどうか不明。
- ^ ラジオ番組『セイ!ヤング』の特番で西崎義展が紹介している。
- ^ 砲身のマークはガミラス、ガトランティス、自動惑星ゴルバとの戦歴を意味しており、続編の「宇宙戦艦ヤマトIII」、「宇宙戦艦ヤマト完結編」まで描かれているが、「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」においては砲身の線は廃止され、錨マークのみ受け継がれている。
- ^ 副弾頭タイプも一部は防衛網を突破しているが、これは反乱を起こしたシャルバート信者が、当該地区の迎撃システムのコンピューターを破壊したためである。
- ^ 2曲共に、放映で使われたテイクはシングルレコード版とは異なるテレビバージョンである。
- ^ 同LPは1995年に『宇宙戦艦ヤマト SONG COLLECTION』としてCD化されている(COCC-12875)。
- ^ 「ヤマト発進まであと2週間」というナレーションと第3話の日数からの考察[12]。
- ^ ダゴン艦隊のケンタウルス座アルファ星襲撃時点でヤマト発進まで6日と見積もられており、ラストシーン時点はその翌日以降(サイモンが大学を解雇済であることから)のため、ヤマト発進まで5日と考察されている[12](ただし、この考察に従うと日数は本来334日になる)。
- ^ 第21話のヘルマイヤー初登場シーンなどで流れる明るい曲。
- ^ 第8話の新反射衛星砲初弾発射シーンなどで流れる戦闘曲。
- ^ 2012年10月23日、新宿ピカデリーのヤマト2199「ヤマトーク」にて。この日に指摘を受け、30年以上経って「え? 敵側の音楽だったの!?」と気付き、会場の笑いを取っていた。
出典
- ^ 『ヤマトよ永遠に ファイナルデラックス版』西崎音楽出版、1980年12月、p. 198。
- ^ 「第二章 伝説の拡散 宇宙戦艦ヤマトIII」『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト』p. 111。
- ^ 「ヤマトIII構成案 〈参考資料〉ヤマトIII・星間国家系統図」『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年6月、p. 112。
- ^ 「私にもひとこと……」『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年6月、p. 113。
- ^ 「宇宙戦艦ヤマト完結編」では、コスモゼロの操縦もしている。
- ^ 第6話において、負傷したクルーを介抱する土門に、人命救助より炊事を優先させるよう怒号を浴びせる。これにより土門は生活班任務の重要性を認識し、その後は真剣に従事することとなる。
- ^ 第6話では自らの逃亡のため、副官の抗議を却下してほとんどの味方艦を置き去りにする。
- ^ 最終話でヤマトを奇襲したベムラーゼも、ヤマトが戦闘状態でなかったとはいえ、事実上勝利している。
- ^ ハイペロン爆弾(重核子爆弾)は、『ヤマトよ永遠に』において、デザリアムの科学の粋を結集して製造された最新兵器であると語られている。
- ^ 「YAMATO III NEW ENDING」『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年6月、p. 119。
- ^ 『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年、pp.118-119
- ^ a b 「DISC.1」『宇宙戦艦ヤマトIII DVDメモリアルボックス 保完ファイル』p. 10。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ 1981年4月号』徳間書店、1981年。pp. 114 - 115。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1980年11月号、徳間書店、113頁。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ 1981年10月号』徳間書店、1981年。p. 101。
- ^ 「ヤマトIIIの時代検証2 80~81年『ヤマトIII』時の関連本」『宇宙戦艦ヤマトIII DVDメモリアルボックス 保完ファイル』p. 37。
- ^ 「ヤマトIIIの時代検証2 80~81年『ヤマトIII』時の関連本」『宇宙戦艦ヤマトIII DVDメモリアルボックス 保完ファイル』p. 36。
- ^ 「SpecialArea Area.7 効果」『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年、p. 53。
- ^ 松本零士著『宇宙戦艦ヤマト2 冒険王オリジナル復刻決定版・下巻』復刊ドットコム、2018年10月、pp. 299-301。ISBN 978-4835456096。掲載されている出渕裕インタビューより。
固有名詞の分類
- 宇宙戦艦ヤマトIIIのページへのリンク