大杉谷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 02:10 UTC 版)
吊橋落下事故
1979年9月15日、登山サークル一行(大阪に本部を置く、山と友の会、現在はNEW山友会に改称、ほとんどが初心者で総員52人)が、老朽化した吊橋を「通行は一人ずつ」との警告板を無視して8人で一度に渡ろうとしたところ、ケーブル2本のうち1本が切断し、1人が墜落死亡・1人が重傷を負った事故(事故当時、先行の登山客2人が渡橋中で、橋上にいたのは合計10人)。当該サークルは、1泊2日で行程を組んでいたため、当該吊橋で待たされると日没までに山の家に到着しなくなることを恐れ、前に渡っている登山客が制止するにもかかわらず通行した。
なお、本事故に関するサークルリーダーの刑事責任は不問とされた。
遺族は三重県と国に対し、6900万円の損害賠償を求める国家賠償訴訟を神戸地裁に起こした。神戸地裁は1983年12月、三重県には吊橋の管理に瑕疵があり、国には吊橋の設置管理費用負担者の責任がある、一方死亡者にも警告板を無視した過失があるとして3割を減額した賠償を命じた判決を下した。
本判決に原告・被告とも控訴した。特に被告側は、裁判官が被告側の要求する現地検証を拒否し、登山道を「ハイキングコースであり、スカートやヒールでの登山客もいる。」と認定するなど大きな事実誤認をしたと主張した。控訴審判決(大阪高裁、1985年4月)では、被告側の主張を一部入れ、死亡者の過失割合を4割に増やした。被告の上告を受けた最高裁では、国を費用負担者と認定せず、三重県には上告棄却(敗訴)、国には原審破棄(勝訴)の判決を下した(1988年12月)。
本件を契機として、環境庁は登山道の安全に神経を尖らせ、多くの登山道が通行禁止となり、自然保護団体からは自然破壊と評されたほどの登山道整備を行った。本登山道も、岩盤に発破をかけて破壊し、破壊した跡に道を作る等、自然に負荷を掛ける方法で登山道を整備し直し、1983年に再開された。
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