国鉄10形蒸気機関車 譲渡

国鉄10形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 04:57 UTC 版)

譲渡

大分交通26

大きさが手頃で高性能な本形式は、廃車後も多くが民間に払い下げられ、長く使用された。国鉄に所属した23両のうち、実に19両が第2の職場を得ている。その状況は次のとおりである。

  • 10 - 14(1911年) → 博多湾鉄道 10 - 14
  • 15, 17(1925年) → 東京横浜電鉄(建設用)
  • 16, 18 - 24, 27, 28, 30(1925年) → 八幡製鉄所210 - 220
  • 25(1944年) → 芝浦工作機械
  • 26(1949年) → 大分交通

博多湾鉄道の5両のうち3両 (12 - 14) は、西日本鉄道への合併を経て1944年(昭和19年)に戦時買収により再び国有となったが、間もなく廃車され、1948年(昭和23年)8月に13、1949年4月に14が大分交通に譲渡され、同番号のまま国東線で使用された。13は1954年(昭和29年)5月、14は1955年(昭和30年)11月に廃車となった。11は国有化前に日本製鋼所(室蘭)へ譲渡されたが、短期間で廃車されている。

大分交通へは、1949年4月に26も譲渡されている。宇佐参宮線で使用され、同線が廃止された1965年(昭和40年)8月に廃車となった。

1925年に廃車となった15, 17は、建設工事用に東京横浜電鉄(東急東横線の前身)に譲渡された。工事の完成後は、1931年(昭和6年)に留萠鉄道に譲渡され、北海道沼田町明治鉱業昭和鉱業所専用鉄道で、1969年(昭和44年)の閉山まで石炭輸送に使用された。

16ほかの11両は、1925年に八幡製鉄所に譲渡された。これらは210 - 220と改番の上、ほぼ原型を保ったまま使用されたが、一部は1953年(昭和28年)に大改造されて原形を大きく損ない、1964年までに順次廃車された。

25は1944年に廃車となり、静岡県沼津市の芝浦工作機械(→ 芝浦機械製作所 → 東芝機械)に譲渡され、同社沼津工場専用線にて使用された後、廃車されている。


  1. ^ 厳密には図面番号 (Zeichnungsnummer) と呼ばれ、メーカーの形式図管理台帳の通し番号であったと考えられている。基本的には基本設計が共通するものについて数字部分が同一とされているが、構造も寸法も異なる車両が同じ番号にカテゴライズされた例もあった。
  2. ^ 正式名称はハノーファー機械製作所 (Hannoversche Maschinenbau Aktiengesellschaft) 。ハノマークあるいはハノーマグとも呼ばれる。ただし、これら3両は実際にはヘンシェル社製であった。
  3. ^ 保存車両 クラウス17号”. 那珂川清流鉄道保存会. 2008年4月9日閲覧。
  4. ^ 神戸淳吉/文、ふじさわともいち/絵。1980年金の星社刊・ISBN 4-323-00212-2
  5. ^ “26号蒸気機関車〜大分県宇佐市:近代遺産を訪ねて”. 読売新聞. オリジナルの2012年7月15日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/tXxC 
  6. ^ “大分県文化財の蒸気機関車・クラウス号が絵本に”. 読売新聞. (2007年8月24日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/Mpg5 






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