名古屋環状2号線 道路施設

名古屋環状2号線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 23:00 UTC 版)

道路施設

PC連続ラーメン橋

環状2号のPC連続ラーメン橋(左)と標準的なT字型橋脚の高架橋(右)。T字型ではがあるために道路長手方向の連続性が損なわれ、美的観点から好ましくないとされた[290]。美的に良くないことは、用地買収を行うにあたって拒絶反応を示されかねないため、その対策としてPC連続ラーメン構造を採用することになった[291]

専用部の陸上区域初の供用区間たる西北部高架橋の設計が開始された1980年当時、名古屋高速は建設反対住民との折衝で大きく揺れ、騒音、景観面の配慮から全線の約30パーセントが地下、半地下構造で計画されていた。このように自動車公害の不安から都市高速に対する根強い不信が横たわる当時において、名古屋市周辺を取り巻いて建設される環状2号専用部もまた建設反対団体との折衝の渦中にあった[292]。こうした状況から、東北部(名古屋IC - 勝川)の用地買収は困難が予想され、住民を納得させる材料として考案されたのが先行開業区間の西北部の見栄えを良好なものとして、住民説得の具に供することであった[292]。そのためには出来得る限り美しい造形とする必要があり、かつメンテナンス面で手間が省ける構造が模索された。特にに係わるメンテナンスが重いことから、沓を省略した連続ラーメン構造を採用することになった[292]。また西北部は軟弱な低湿帯で地震の影響が懸念されることから、耐震性向上の意味からも沓の省略は必要な対策であった[293]。なお、建設省の計画では全線が鋼橋として計画されていたが、ヨーロッパの橋を参考とした結果、都市景観を考慮してコンクリート橋がふさわしいと判断された[291]

PC連続ラーメン橋を採用するにあたり、それが短区間で途切れて鋼橋に移行するようでは美しさという面で訴えかける力がないため、極力連続採用することにして清洲町(現、清須市)のJR立体交差部から名古屋西JCT付近までの6.7 kmで採用した[294]。また、当該高架橋は名古屋市を取り囲むように配置されることから、名古屋市中心部と出入する幹線道路や鉄道にとっては玄関の役割を持つ意味からも高架橋の景観的な連続性には強いこだわりを持つこととされた[295]。また、環状2号近隣の家々や歩行者、自動車から高架橋を見た場合、重圧感による不快感を低減し、安らぎと柔らかさを与える意図から、高架橋には丸みを持たせている。橋脚は、国道計画により中央分離帯に設置せざるを得ないことで、一本柱が設置条件とされた[290]。柱形状は、当初はV字型で計画されたが、張り出し感があることからY型に変更のうえ[290]、丸みのあるバチ型として都市景観に配慮した[296]。なお、連続採用の必要から名鉄線との交差部もコンクリート橋となったが、これは鋼橋と違って工程が長期間に及ぶことから名鉄が難色を示し、種々の厳しい条件を受け入れて工事が許可された[297]。ただし、清須市内の東海道新幹線との交差部から清洲JCTまでの区間と、名古屋西JCTは様々な制約から鋼橋となっている。なお、PC連続ラーメン高架橋は東北部の庄内川右岸から北部区間でも採用された[298]

高架橋の高さは13 mとされ、これは環境アセスメントと都市計画の取り決めによっている[299]。環境アセスメントをやり直せば9 m程度に下げることも可能であったが、下げ過ぎると圧迫感があり、地域分断のイメージが強くなる懸念が生じると共に、1987年度の開通が至上命令であったことから、アセスメントのやり直しに時間を要することを嫌って13 mで落着している[300]。なお、西北部の橋脚間は25mとされ、これは25 mが最も経済性に優れるためである[301]

地下・半地下構造

半地下区間の地上側(画像左)と専用部(画像右)。
左画像:一般部の中央に半地下区間の開口部がある。当初は地階の高速道路が見えたが騒音対策のために蓋が取り付けられた。
右画像:ドライバーの心理的圧迫感を取り除くため構造物に丸みを付けた[302]
香流川と矢田川渡河区間の当初計画案と変更(現行)案の比較[125]

環状2号の都市計画決定は1957年(変更は1967年)であったが、建設計画が具現化したのはそれより後であった[262]。これが時あたかも公害問題が全国的に多発した時期にあたり、環状2号の計画についても様々な反対運動に直面することになった。なかでも専用部は名古屋市東北部の丘陵地帯を通過することから、電波障害、日照阻害、騒音被害を心配する付近住民から反対された[303]。建設省としては[注釈 12]この声に応える形で東北部および東部、東南部の専用部については高架と半地下、トンネルを組み合わせる構造に変更した。これらの変更は1975年までに決定している[113]

1993年12月に専用部の勝川IC - 名古屋IC間(東北部)が開通したが、丘陵地帯に設けられた半地下部は騒音対策に効果的とされながらも[304]、実際に交通開放されてみると開口部から騒音が漏れて付近住民から苦情が寄せられた[305]。開口部は当初計画では13 mで、計画変更により9 mに縮小されたにもかかわらず騒音はかえって大きくなることは東北部供用前から判っていたことではあったが、軽微な変化のために環境アセスメントのやり直しはしないと県側は答弁していた[306]。だが、公団は住民の声に応えて半地下部上空に吸音材を使った蓋を取り付ける方針を示し、これは1999年に完成した[305]。蓋は何層も互い違いに重ねる構造のため、排気ガスを地上に排出できる造りとなっている[305]。同構造はその後開通した東南部の半地下区間でも採用されている[307]

半地下区間は地上からは見えないことから、ドライバーの反応のみが景観対策の対象となる[302]。このため、心理的圧迫感を取り除く構造が模索され、構造物に丸みを持たせて視覚的な柔らかさを表現することになった[302]。また、掘割からボックスカバーを経て半地下区間へ移行する際、コンクリートの段差壁面による圧迫感があることから、面壁に塗装(修景)を施すことで圧迫感軽減に努めた[308]。安全対策としては、照明設備はトンネルに準じたものとしたほか[302]、非常出口(インター出入口)までの距離を示す誘導表示板を設置するなどした[309]

東北部のうち、矢田川香流川の渡河は一般部、専用部ともに橋梁による通過とされ、特に専用部はその前後が半地下であることから渡河区間だけ地上に姿を見せる構造が当初の計画であった。だが、橋梁による横断について近隣住民が難色を示した[310]。当該区域は東に東名高速が供用しており、西に環状2号専用部が高架で完成すれば騒音公害の板挟みとなるうえ、当該地区は環状2号建設のために土地区画整理によって20億円相当の土地を提供したことから、住民はその見返りとして環境的な配慮を求めた[310]。これに対して名古屋市の環境影響評価審査委員会は、住民の意見を反映して香流川については騒音のほか、地域分断の解消のために地下式とするよう自治体に要請した。それは一般部の道路中央に計画された専用部を地下式にすることで、両側の一般部を中央にスライドのうえ道路幅を縮小、それが地域分断感の緩和に資するためである[310]。愛知県と中部地方建設局は委員会の指摘を受けて香流川をトンネル構造に変更することを決定し、その前後を半地下で挟む構造に改めた。また環境施設帯や歩道橋を設置する必要から近接する矢田川もトンネル方式とすることになった[311]。このとき河川管理者から意見が出され、万一の災害によってトンネルに亀裂が入るなどして河川の水が流入した場合、道路をつたって市街地をはじめ庄内川まで到達して大水害を引き起こす危険性を指摘のうえ、その対策として制水ゲートをトンネル両端に設けることを要求した[312][304]。公団はトンネル北側(小幡方面)については制水ゲート設置を決定し、その構造について種々の検討の結果、水密性をはじめ耐久性、操作性を考慮して電動式の昇降式ゲートを採用することとした[312]。一方、トンネル南側(上社方面)についてはゲートを取り付けない代わりに地上側の開口部の高欄(壁)をかさ上げして水があふれ出ないように対策をとっている[312]

環境対策設備

名古屋市名東区の環状2号沿道地域。この付近一帯は環状2号と一体で整理組合により土地区画整理された[313]。市街地であるため、既述の半地下構造採用と併せて環境対策に十分な配慮を行った。(左右に伸びる道路が環状2号)

1973年に建設省が一定規模の道路には住宅街と本線道路の間に環境施設帯(バッファーゾーン)の設置を義務付けたことから[314]、環状2号においてもそれに従っている。この1970年代の社会状況は高度経済成長のひずみから日本各地で公害問題が顕在化し、名古屋市でも南区の名四国道沿道住民が自動車騒音で生活が脅かされる事態が発生した[315]。このため、南区に建設される都市高速の建設遅延が発生したことを契機として環境対策のための環境施設帯を設置した経緯があった[316]。こうした環境対策を大規模幹線道路に生かすことになり、土地区画整理事業と一体的に整備された経緯から沿道に市街地が展開する環状2号においても必要十分な環境対策を講ずることとされた[317]

計画当初の専用部は往復6車線で計画され、その後将来の計画交通量が当初の見込みより減少することが判明したため4車線に減じることにして、これによって橋脚が2本から1本に減少することになった[113]。これが専用部の真下に一般部を収容する余裕を生み、一般部が中心部へスライドしたことで道路両脇に新たなスペースが生じた。このタイミングで建設省が環境対策として一定規模の道路に騒音対策として環境施設帯(バッファーゾーン)約10 mを設ける方針を発表したことから、生じたスペースを環境施設帯に充てることになったものである[113]。なお、環状2号で最も早く供用された北部は建設省がバッファーゾーンの設定を義務付ける以前に着工したことから、その後の通達による設計変更のために工事が一時停止することになった。これには工事予算が抑制されたことも手伝って当初計画の1977年度供用が大幅に遅れて1980年に遅延することになった[318]

一般部両側には遮音壁が設けられ、次いで植樹帯、本線と住宅街を連絡するサービス道路が配置されている。環境施設帯はこの3要素から構成されている[319]。植樹帯は自動車の排気ガスと騒音を抑えると共に沿道からのうるおいある景観を目的として植栽され、常緑樹の高木、中木、低木で構成している[320]。また、遮音壁は必要に応じて透明板を採用している[319]。このほか、環境施設帯とセットで専用部高架橋の裏面に取り付けられた吸音版によって反射音が住宅街に届くことを防止している[319]

地球温暖化抑制のため、発電時に二酸化炭素を排出しない太陽光発電によって得られた電力を道路照明として供給することになり、2011年開通区間の高針JCT - 名古屋南JCT間の半地下区間に太陽光パネルを設置した[321]。半地下区間直上は余分なスペースのため、ここにパネルを展開している。当該区間の半地下区間は約7 kmで、そのうちの約5.7 kmに約1万枚のパネルを設置し、年間想定発電電力量を2100 MWhとしている[321]。半地下区間は昼間時に1日の使用電力の7割以上を消費することから、太陽光発電によりこの電力を賄うものである[321]

鉄道交差部

環状2号と交差する鉄道(名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線ゆとりーとライン)は除く)。名古屋駅と金山駅の他に交差付近の駅も記載。

環状道路の特性上、名古屋市中心部から放射状に延びる鉄道各路線との交差箇所が数多いことが環状2号の特徴となっている。専用部であれば高速道路ゆえ最初から立体交差前提で道路設計される。しかし一般部は鉄道側の高架化あっての立体交差であることから、高架事業推進に必要な用地の確保など住民協力が得られない場合は高架化の遅れや着工の目途が立たないこともしばしば見受けられる[322][268][110]。一般部の事業推進は鉄道交差の進捗状況によって大きく左右され、立体化が直ぐには完成しない場合は暫定踏切を設置して開通させることも行われ[323]、名鉄名古屋本線、名鉄津島線、名鉄犬山線、名鉄瀬戸線はこの方法が採用された。このうち犬山線は、名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互直通に関連して平田橋駅 - 中小田井駅間の立体化が既に計画されていたことから、1980年の一般部の供用時点で暫定踏切を設けて開通した。それから11年後、当該箇所は上小田井駅(橋上駅)の開業と併せて立体交差化された[225]。瀬戸線はその前後で一般部が開通して以降、線路横断の自動車が生活道路に侵入して危険であることから、住民要望で一般部に暫定踏切を設けることになった。設置は2000年2月でこの時は暫定往復2車線の開通とされた。路線の高架化は住民説得に時間を要して2008年度の完成予定が大幅に超過している状況である[268]。なお、一般部の暫定踏切設置箇所のうち、一般部開通当初から鉄道を横断出来たのは犬山線のみで、他は鉄道を挟み込む形で一般部が先行開業のうえ、後から暫定踏切を設置した[231][238][239]

JR中央線は運行頻度が高いこともあって、管轄するJR東海は保安を理由に暫定踏切設置を拒否した[267]。よって高架化が完了するまでは一般部の鉄道横断は不可能となり、こちらも用地確保に手間取ったことから[324]高架完了は2009年までずれ込み、これが一般部の全線開通を最後まで阻んだことも先述した。なお、専用部の勝川IC(東名方面)出入口は高架化を待たずに開通しているが、その経緯については勝川IC#歴史を参照されたい。

一方で西南部のJR関西線と近鉄線の立体交差は、環状2号の計画を踏まえて早期の完成を見たことから[325]、一般部の供用当初より鉄道横断を実現している[226]

環状2号のランドマーク

遮音壁(専用部)

沿線は都市近郊で住宅密集地が連続することから、高架橋には都市高速同様遮音壁を設置している[326]。ただし、都市景観を考慮してデザインされたものを採用し、通過する地域の特性に合わせ、それぞれのテーマに合わせたものを導入した。例えば、学校近接部は楽しい色彩パターン、交差道路にはゲート性を考慮したうえでカラーパネルを設置、上り線(内回り)側には日照阻害対策のためにレンズ加工した透光板を採用した[327]。このデザインは西南部を皮切りに北部、東北部でも採用された[328]

単弦ローゼ橋(庄内川橋)

庄内川を境に左上が平野(春日井市)、右下が丘陵地帯(名古屋市守山区)に分かれる。専用部は名古屋市守山区側で半地下区間に入る。出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』

庄内川に架かる庄内川橋は名古屋市(守山区)と春日井市の市境にあり、また平坦な濃尾平野と丘陵地帯の境に位置する[331]。よって川の西側は高架区間、東側は掘割、半地下区間の移行区間に位置し、景観的にも道路構造的にも変化に富むことから、ここに計画された橋はこの景勝地に相応しいランドマーク的な橋が構想された。このために中部圏では初となる単弦ローゼ橋を採用することとして、専用部の道路中央分離帯にアーチを1本架け、2本の橋脚に連結して支える構造とした。アーチの高さは約20 m、長さは130 mで、アーチ形状を明快に表現することや周辺環境と調和させるべくライトグリーンを基調に塗装した[331]。橋脚はコーナーを丸め、上方から下方にかけて絞り込む(狭める)ことで優しさとシンプルなイメージを出した[331]

なお庄内川橋は橋の中央を専用部(往復4車線)、その両側に一般部(各片側2車線で歩道付き)を挟むトータル8車線、幅員51 mの大橋である。このうちアーチが作用するのは専用部のみで、一般部は専用部の橋桁から独立しており、その構造は桁橋である(橋脚は専用部と共有)[331]。床板形式は専用部がRC(鉄筋コンクリート)、一般部が鋼で、単弦ローゼの採用は重量のあるRC板の採用を可能とした。その両側の一般部が鋼とされたのは景観的配慮から桁高を抑える必要によっている[331]。ただし一般部は現状往復2車線の暫定供用中であって、下流側に道路は設置されていない。供用開始は専用部が1993年12月3日[123]、一般部が1994年10月25日である[230]

楕円形歩道橋(平針歩道橋)

名二環の橋桁架設前の平針歩道橋(2007年6月)。県道が斜め交差することから歩道橋は楕円形とされた。出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元: 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』

東南部の愛知県道56号名古屋岡崎線と交差する原一丁目交差点(名古屋市天白区)には楕円形の平針歩道橋が架けられている。楕円形ゆえ直径にばらつきがあり、最も長い幅が70 m、短い幅が40 mで、一周は180 mである[332]。楕円形とされたのは、一般部と県道が斜め交差していることから円形が採用できなかったことによっている。また力学的な観点からも楕円形が有利との判断もあったが、地域のモニュメントとしての意味や歩行者に与える印象を柔らかくする目的もある[333]。ただし直線状の歩道橋に比べ歩行距離が若干長くなる特徴もある[332]

3大斜張橋(名港トリトン)

名港トリトンは4つの人工島に跨って架橋されている。

名古屋港を横断する海上部の斜張橋3橋は名港トリトンの愛称で呼ばれている。人工島である各埠頭間をまたぐ鋼3径間連続斜張橋により構成され、海部郡飛島村、名古屋市港区、東海市新宝町に跨って架橋されている。飛島側から名港西大橋、名港中央大橋、名港東大橋の順に構成され[334]、必要な航路高さ確保のため、橋桁は海面より40 - 50 mの高さで架橋されている[334]

夜間は季節ごとにテーマカラーを設定したライトアップが実施されている[335]


注釈

  1. ^ 電柱にケーブルが取りつく場合と違って地下に埋設することで地震などの被害が少ないとされる。また、電柱が無いことは街の美観維持につながる(『道の空 Road to next 明日へ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、40 - 41頁、愛知県図書館蔵)。
  2. ^ 図は1957年時点のもので、守山区や緑区はまだ名古屋市に編入されていない。名古屋港の埋め立ても計画途上で海上区間のルートに陸地がない状態である。図の典拠は名古屋市計画局・財団法人名古屋都市センター『名古屋都市計画史』353頁、同『名古屋都市計画史 図集編』71 - 72頁による。
  3. ^ また、郊外から名古屋港へ向かう場合、名古屋港は名古屋市内に入るとはいっても、市中心部へは入らないことから、やはり一種の通過交通に含めることが出来る。郊外から名古屋港へ向かう交通対策としても、名古屋港に敷設される環状2号の役割は重要であった(『土木学会誌』第49号第3号、14頁)
  4. ^ 1967年当時は66.3 kmで計画され、後年の66.2 kmよりも0.1 km長かった(『名古屋環状2号線のあらまし』名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会、1967年、23頁)。
  5. ^ 名古屋港管理組合が公表した1964年改訂港湾計画平面図は2種類ある。1つ目は『名古屋港史』名古屋港管理組合、1990年発行の付属図面「昭和39年改訂名古屋港港湾計画平面図(目標年次昭和50年・第21回計画部会)」によるもの(名古屋市鶴舞中央図書館蔵)、2つ目は『名古屋市 都市計画のあらまし』No.1-10 1962-80(合冊製本)内の「都市計画のあらまし」1968、No.3、36頁の名古屋港計画平面図 昭和39年5月改訂によるものである(名古屋都市センターまちづくりライブラリー蔵)。本項では後者を採用し、理由は1964年5月17日の中日新聞1面に掲載された図と同様だからである。
  6. ^ 西大橋完成に伴い、公団は一日平均8,900台の利用を目論んでいたが、現実は1,700台と全くの期待外れであった(『中日新聞』1986年4月29日朝刊、1面)。
  7. ^ 建設省が中央大橋と東大橋ならびに取り付け道路約5kmを早期建設する条件として建設費の相当額を地元経済界が低利子で融資する民間活力(民活)導入プロジェクト。1986年3月に財政難にあえぐ建設省が提示した。国から資金調達を迫られた経済界は早期着工および日本道路公団による着工と引き換えにこの提案を受け入れた。構成団体は名古屋商工会議所、中部経済連合会、中部経済同友会、愛知県経営者協会の4団体(『中日新聞』朝刊、1987年6月21日、17面)。
  8. ^ 第2東名・名神(現行名称は新東名・新名神)は国土庁の交通基盤問題研究会が1984年11月に四全総における整備路線対策として掲げたことを初出とする(『中日新聞』1984年11月26日朝刊、1面)。1986年2月には衆議院建設委員会で東名・名神の混雑解消策としての必要性が強調された(『中日新聞』1986年2月13日朝刊、2面)。
  9. ^ 三遠南信自動車道が要望から15年を要して四全総に組み込まれたことを考えると第2東名のスピード決定は異例である(『中日新聞』1987年5月30日朝刊、1面)。
  10. ^ 国土地理院発行の地図(1982年6月30日発行)にも梅之郷交差点から桜木北交差点間は道路は完成しているが国道302号の指定はない(『飛島地図』(1982年)として飛島村図書館にて閲覧可)。
  11. ^ 「伊勢湾岸道路」は一般国道302号の有料道路名である。「伊勢湾岸自動車道」とは異なる。
  12. ^ 当時の環状2号は専用部も含めて建設省の管轄。専用部の管轄が日本道路公団に移管されたのは1982年である(『中日新聞』1982年8月28日朝刊、1面)。

出典

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