南蛮貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 14:31 UTC 版)
資本、税
共同出資と海上貸付
ポルトガルの東インド貿易は、名目上は全てポルトガル王室の事業だったが、単独で人員と船を継続するのは人口と王室の財政規模から不可能だった。たとえば1505年にインド洋に送った22隻の船団には王室の年収の75%以上の費用がかかったため、イタリア系やドイツ系の商人グループが半額以上を投資している。また、船を送る権利は貴族や商人に有料で譲渡された[35]。ポルトガルやスペインの貿易は、16世紀後半からジェノヴァ共和国のサン・ジョルジョ銀行から融資を受けていた。リスク管理のために複数の人間が共同出資するコンパーニアや、高利の海上貸付であるレスポンデンシアが行われていた。ポルトガルはカトリック教国であり、教会法ではウスラによって高利が禁じられていた。このためカトリック教徒の間では、海上貸付は海上保険の名目で扱われた[36]。
マカオに着任したベルショール・カルネイロ司教は、慈善院(ミゼリコルディア)を設立した。当時ポルトガルの慈善院には、富裕者の資金を投資や貧者への喜捨に運用する銀行業務が含まれており、リオとゴアなど遠隔地間の信用為替取引も行われていた。マカオの慈善院では、南蛮貿易の航海資金も貸し出した。東インド管区の巡察使としてアレッサンドロ・ヴァリニャーノがマカオに着き、日本への布教資金の確保を課題とした。そこでカルネイロは、生糸の出資組合であるコンパーニアやアルマサンと契約を結ぶ。この契約により、毎年50ピコの生糸の割り当てをイエズス会が確保するようになり、会の財源となった。カルネイロの契約によって、大商人による生糸の独占はなくなり、少額資本でも南蛮貿易に参加できるようになった。コンパーニアやレスポンデンシアは、のちに長崎で投銀(なげかね)と呼ばれる投資形態の原型となった[37]。
投銀
日本商人による投銀は「言伝銀」と「海上銀」という契約に分かれていた。言伝銀は商品を購入するために銀を委託する契約であり、海上銀は海難時に借主が有限責任を負う高利の契約を指す[38]。日本商人は中国商品を買うために大量の言伝銀をポルトガル商人と契約し、ポルトガル商人は中国からの信用貸付が可能となった。しかし、これによってマカオでは対日本人債務が急増した[39]。また、大名や幕臣が海上銀で利益を得ており、幕府は幕臣の海上銀を禁じたのちに、商人も含めて全ての言伝銀と海上銀を禁じた[40]。
カピタン・モールの収入、ポルトガルの関税
カピタン・モールは商人から委託された商品から一定の輸送料を徴収した。マカオで対日本負債が増えるとカピタン・モール制は廃止され、マカオ市は賃金でカピタン・モールを雇用した。マラッカ、セイロン、ゴアでは王国の収益として関税を納めた[41]。
中国の税
マカオのポルトガル人は明に対して、地租、船の停泊税、出港時の関税などを納めた。停泊税の金額は船の容量によって決まった。また、マカオがオランダの攻撃を受けたのちは、要塞整備のための貢納をポルトガル人に求めた。こうした点で、スペイン領フィリピンの植民地であるマニラとは異なっていた[42]。
日本の碇泊料
日本、中国、ポルトガルの船は、長崎では大村氏に碇泊料を払った。碇泊料は大村氏の保護も兼ねていた[43].
- ^ "Histoire du Japon", p. 72, Michel Vie, ISBN 2-13-052893-7
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- ^ 余部 1992.
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