六角義定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 16:22 UTC 版)
子孫
高賢と高和の男子があったが、高賢は病弱だったため、家を継いだのは高和である。彼は江戸幕府旗本となった。高和の系統はのち無嗣断絶となっている。また高賢の子・定治は兄・義治の婿養子となり、この系統は加賀藩士佐々木家(佐々木左近大夫家)として後代まで家が続いている(『系図総覧』、寛政譜)。なお、六角氏の歴代の法要が佐々木定治とその子孫である加賀藩士佐々木家によって行われていることを根拠に、六角家の宗家の家督は義治の後は娘婿である定治が継いだとして、義定と高和の系統はその分家であったとする説もある(この説に基づけば六角氏の17代目当主は佐々木定治ということになる)[4]。
外部リンク
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