八ツ又駅 歴史

八ツ又駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 01:44 UTC 版)

歴史

揖斐線の前身である美濃電気軌道によって北方町駅(のちの美濃北方駅)から黒野駅までが延伸開業した際に開業された駅である。1944年より休止され、そのまま復活することなく1969年に廃駅となった。前後の駅より早い廃止であった。

駅構造

  • ホーム1面1線の停留場であった。丸窓を配した待合室が備え付けられていた[8]
  • 糸貫川に架かる鉄橋に続く土手の西端に存在した[1]

その他

駅西側の更地(2015年10月)
  • 揖斐線の美濃北方駅 - 八ツ又駅間には数百メートルの区間は土手の上に線路があり、この土手の下を県道(北方多度線)や樽見線がくぐっている構造である[9]。この土手はかつて糸貫川に架かっていた鉄橋への土手である。現在の糸貫川は小さな河川であるが、1944年(昭和19年)の根尾川改修工事以前は幅200メートル以上の河川であった[1]
  • 糸貫川が現在の小さな河川となった後、鉄橋は架け替えられたが土手はそのままとなった。樽見線を建設する際、この土手を利用して立体交差化されている[10]
  • 2016年7月現在、駅が存在した場所の盛り土と樽見線との立体交差部は撤去され、駅跡の南方はファミリーマート本巣上真桑店となっている[11]

隣の駅

名古屋鉄道
揖斐線
美濃北方駅 - 八ツ又駅 - 真桑駅

  1. ^ a b c 国土地理院2.5万地形図「北方」、1932年(昭和7年)修正版・1947年(昭和22年)二修版
  2. ^ 「名古屋鉄道百年史』881頁では八ツ又であるが、「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月13日(国立国会図書館デジタル化資料)、『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)では八又と表記されている
  3. ^ 休止時点では真桑村
  4. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月13日(国立国会図書館デジタル化資料)
  5. ^ a b c 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4 
  6. ^ a b c 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、144頁。ISBN 978-4-53305-883-7 
  7. ^ a b c 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、54頁。ISBN 978-4-10-790025-8 
  8. ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、61頁。ISBN 4-87670-097-4 
  9. ^ 国土地理院2.5万地形図「北方」1970年(昭和45年)改測版以降は主要道を通す土手となっており、それ以前に当駅は廃駅となっている。
  10. ^ 国土地理院2.5万地形図「北方」、1947年(昭和22年)二修版
  11. ^ 北緯35度26分12秒 東経136度40分34秒 / 北緯35.436630度 東経136.676036度 / 35.436630; 136.676036


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