佐賀ノ花勝巳
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佐賀ノ花 勝巳(さがのはな かつみ、1917年12月5日 - 1975年3月28日)は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋(入門時は粂川部屋)に所属した大相撲力士。本名は北村 勝巳(きたむら かつみ)。師匠の玉錦譲りの鋭い出足から「飛燕の出足」「サッと寄り切る佐賀ノ花」などと呼ばれていた[1]。最高位は東大関。
- ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p20
- ^ a b c d 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)30ページから31ページ
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p48
- ^ この場所は後楽園球場での開催であった
- ^ 『相撲』2009年8月号
- ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p10-11
- ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p44
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p39
- ^ 神風正一『神風一代―わたしの昭和相撲小史』日本放送出版協会
- ^ 急性盲腸炎により13日目から途中休場
- ^ 虫垂炎により3日目から途中休場
- ^ 心臓脚気により9日目から途中休場
- 1 佐賀ノ花勝巳とは
- 2 佐賀ノ花勝巳の概要
- 3 主な成績
- 4 関連項目
固有名詞の分類
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