交響曲第8番 (シベリウス) 交響曲第8番 (シベリウス)の概要

交響曲第8番 (シベリウス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 04:39 UTC 版)

作品の存在を示唆するもの

シベリウスは1926年に最後の完成作である交響詩タピオラ』を完成させたが、その完成後、さらに30年生きた。そして、その期間ずっと交響曲第8番の作曲に取り組んでいたとする説もある[1]

彼は、早ければ1930年ごろに交響曲第8番を仕上げると約束していた。1931年ベルリンで「交響曲は大きな歩幅で進んでいる」と報告し、同年12月の日記には「私は『第8番』を書いている。青春のまっただ中だ」と記している[2]。また、妻アイノへの手紙で、交響曲の構成を説明している。さらには、1930年代半ばに、五線紙を大量に発注したという記録が残っている。

この作品の第1楽章は、1933年に浄書された。第1楽章は23頁あり、シベリウス自身の見積もりによると、全曲はその8倍の大きさになるはずだった。1933年9月4日付けの領収書、およびその裏面のシベリウスによるメモが、このことを示している[3]

初演の約束

シベリウスは、新作の交響曲の初演がセルゲイ・クーセヴィツキー指揮のボストン交響楽団によって1931年および1932年に行なわれ、ロンドン初演は1933年ベイジル・キャメロンを指揮者としてロイヤル・フィルハーモニック協会によって行なわれると約束し、広告を打って宣伝した[4]。また、イェオリ・シュネーヴォイクト指揮のヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団による演奏も計画されていた。しかし結局、交響曲第8番は完成しなかった。


  1. ^ Ross, Alex (2009) [2007], “5”, The Rest Is Noise: Listening to the Twentieth Century (3rd ed.), Harper Perennial, ISBN 978-1-84115-476-3 
  2. ^ ランピラ『シベリウスの生涯』144頁。
  3. ^ ランピラ『シベリウスの生涯』146頁。
  4. ^ Kari Kilpeläinen, Sibelius Eight: What Happened to it? FIMIC web site, retrieved 16.11.2011
  5. ^ Levas, Santeri: Sibelius: A Personal Portrait. Porvoo and Juva, Werner Soderstrom Osakeyhtio, 1986
  6. ^ Vesa Sirén, Is this the sound of Sibelius's lost Symphony? Archived 2014年1月22日, at the Wayback Machine., Helsingin Sanomat, 30.10.2011 (retrieved 16.11.2011)
  7. ^ 知られざるシベリウス


「交響曲第8番 (シベリウス)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「交響曲第8番 (シベリウス)」の関連用語

交響曲第8番 (シベリウス)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



交響曲第8番 (シベリウス)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの交響曲第8番 (シベリウス) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS