ヴィクトル・ハルトマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 20:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動略歴・作品
幼くして孤児になり、サンクトペテルブルクの有名な建築家であったおじに引き取られた。ペテルブルク美術アカデミーに学び、当初は挿絵画家として活動した。ノヴゴロドのロシア開基一千周年の記念碑をデザインしており、これは1862年に除幕式が行われている。1864年から1868年まで外国に旅して、水彩画や鉛筆画を残した。ハルトマンは、伝統的なロシアのモチーフを自作にとり入れた最初の美術家の一人である。
スターソフによってバラキレフのサークルに紹介されてから、1870年よりムソルグスキーの親友となる。1873年、39歳で動脈瘤により夭折したのち、1874年の2月から3月まで、約400点の遺作が母校ペテルブルク美術アカデミーに展示された。
ムソルグスキーはこれに触発されて、ピアノのための組曲『展覧会の絵』を作曲した。現在、この展示のほとんどの作品が散逸している。
1991年、NHKと團伊玖磨によりムソルグスキーの楽曲をハルトマンの絵に同定させる試みがなされた(NHK、NHKスペシャル「革命に消えた絵画 - 追跡・ムソルグスキー『展覧会の絵』」1991年。[1])が、学術的に精密な手続きがとられたとは言い難いという批判もあり、議論の余地がある。
なお、この番組に基づいたと思われるストーリーが、細野不二彦の漫画『ギャラリーフェイク』に収録されている。
脚注
ギャラリー
現存するサーヴァ・マモントフ商会の外壁(レオンティェフスキー街、モスクワ)
関連項目
参考文献
- 團伊玖磨、NHK取材班 『追跡 ムソルグスキー「展覧会の絵」』 日本放送出版協会、1992年7月、ISBN 4-14-080062-3
- ^ 團伊玖磨、NHK取材班 『追跡 ムソルグスキー「展覧会の絵」』 日本放送出版協会、1992年7月、ISBN 4-14-080062-3
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