リージェント・ストリート 歴史

リージェント・ストリート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 14:49 UTC 版)

歴史

1813年のプロポーザル
1837年のリージェント・ストリート
ナッシュ設計で現存するのはAll Souls教会のみ

前史

リージェント・ストリートを含むウエスト・エンド地区は16世紀以来シティの中産階級が流入することによって開発されてきた。同じ頃 (1531年)に、英国王室もそれまでイートン校などの土地だったSt. James's周辺の土地を手に入れた。しかし、テムズ川沿岸から発達したウエスト・エンドでは、ピカデリーから北に現在のような賑わいはなく、醸造所硝石工場、伝染病治療院などがある暗い場所だった。1666年ロンドン大火によりシティがほぼ焼失したことにより、防火などの意味で都市計画の重要性が認識され、ウエスト・エンドでも計画的な都市開発の機運が高まった。実際にDover Streetやボンド・ストリートが整備されたが、ピカデリーから北に建築されたのは数棟の建物のみだった。18世紀に入ると、現在のリージェント・ストリートの西側の開発が進みGrosvenor SquareHanover Squareなどが整備されていった。

建設

1811年、ピカデリーの北側に再開発の機会が到来する。当時、ロンドンの北限に近かったメリルボーン・パーク (後のリージェンツ・パーク)の賃貸契約が切れたのだ。公園の所有者は、公園の価値を高めるため、当時から繁華街だったチャリング・クロス・ロードやピカデリー周辺まで道路を整備することを思いつく。そこで案を募ったところ、2つの案が提案され、最終的に摂政の顧問であるジョン・ナッシュの案が採用される。

ナッシュ案では、メリルボーン・パークに居住スペースの役割を担わせることになっていた。そのため、リージェント・ストリートには公園も居住スペースも設けられないこととなる。これはリージェント・ストリートからの収益を最大化することで建築コストの捻出することや、地権者である英国王室の財政安定化も考慮された上での決定でもあった。王室の意向はルート設定でも色濃く反映され、基本的には既存のルートを使いながらも、王室の土地を最大限活用するために迂回もいとわなかった。また英国政府もナポレオン戦争からの帰還兵への職業斡旋の一環として、このロンドン史上類を見ない再開発を支援した。1814年に開始された建築工事では、その当時あった建物はほぼ取り壊され、代わりにナッシュ自身やジョン・ソーンCharles Cockerellが設計した新古典主義に基づく建物が建設され、1825年、リージェント・ストリート (当時は「ニュー・ストリート」と呼ばれた)は完成した。

再開発

1825年に完成したリージェント・ストリートの再開発は産業革命にともなう急速な消費社会の到来により、思いの外、早くやってきた。リージェント・ストリートは99年にもおよぶリース契約で建築費を賄っていたため、20世紀前半までは再開発の予定はなかったのだ。まず1848年、ピカデリー側の弧の部分にあった柱列が取り外される。これは馬車と通行人を分けるために設置されたものであるが、テナントからすると店の前に陰ができ、客足が伸びないと苦情が出ていたのだ。加えて、警察も柱列が売春などの犯罪の温床になっていると警告し、取り壊しが決まった。

更に19世紀後半になると、ショッピング・ストリートに一大改革を迫る存在が登場し始める。百貨店である。このショッピング・ストリートの新しい王様は、巨大な営業フロアを必要とするため、リージェント・ストリートの建物では対応しきれなくなっていた。そこで1902年から第一次世界大戦での中断を挟みながら1927年にかけて、大規模な再開発が断続的に行われ、結果としてナッシュが設計した建物は営業用ではないAll Souls教会を除き、すべて取り壊された。その後、Reginald Blomfieldが弧の部分をデザインしなおし、John James BurnetArthur Joseph DavisBeaux-Artsスタイルを取り入れて新しい建物が建築された。これが今日のリージェント・ストリートの成立である。再開発終了時には国王ジョージ5世とその妃メアリー・オブ・テックがリージェント・ストリートをパレードして完成を祝った。




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