マイケル・マクファーレン マイケル・マクファーレンの概要

マイケル・マクファーレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/17 14:31 UTC 版)

獲得メダル
イギリス
陸上競技
オリンピック
1988 ソウル 男子 4×100mR
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
1986 シュトゥットガルト 男子 4×100mR

経歴

マクファーレンは、1978年のカナダエドモントンで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。100mでは決勝に進出し、10秒29で5位。200mは準決勝に進出したものの棄権している。翌1979年のヨーロッパジュニア選手権では200mでの金メダルをはじめ3つのメダルを獲得した。

1980年には初めてのオリンピックとなるモスクワオリンピックに出場。200mは2次予選で敗退したものの、4×100mRでは決勝に進出。しかし、3位のフランスに100分の9秒及ばず4位と惜敗した。

マクファーレンは、1982年の英国の200mのチャンピオンとなる。同年のオーストラリアブリズベンで開催されたコモンウェルスゲームズでは、100m、200mと4×100mRの3種目に出場。100mと4×100mRは5位に終わったものの、200mは、20秒43の記録で、モスクワオリンピック100m金メダルのスコットランドアラン・ウェルズと同着で金メダルを分け合った。翌1983年、フィンランドヘルシンキで開催された第1回世界選手権では、4×100mRのメンバーとして出場しているが準決勝で敗退した。

1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場。100mは決勝進出を果たしたものの5位。さらに4×100mRには、ウェルズと、十種競技デイリー・トンプソンの2人の金メダリストを擁して挑んだが7位と振るわなかった。

1986年、スコットランドのエジンバラで開催されたコモンウェルスゲームズに出場。100mでは、カナダベン・ジョンソンイングランドリンフォード・クリスティに次いで3位となり銅メダル。4×100mはクリスティのいないイングランドチームで挑み39秒19で銀メダルを獲得した。コモンウェルスゲームズから4週間後には西ドイツシュトゥットガルトで開催されたヨーロッパ選手権にも出場。100mでは10秒29で6位に終わったものの、4×100mRは38秒71でソ連東ドイツに次いで3位となり銅メダルを獲得した。翌1987年、イタリアローマで開催された世界選手権では、100mと4×100mRに出場。100mは準決勝で敗退。4×100mRは予選で失格となっている。

マクファーレンにとって、最後のオリンピックとなった1988年ソウルオリンピックでは4×100mRに出場。エリオット・バニー、ジョン・レジスリンフォード・クリスティとともに挑んだレースで、38秒28のタイムでソ連に次いで銀メダルとなり、初めてで唯一となるオリンピックのメダルを手にした。

自己ベスト

  • 100m - 10秒22
  • 200m - 20秒43

  1. ^ “Mike McFarlane: 1960-2023” (英語). England Athletics. (2023年5月31日). https://www.englandathletics.org/news/mike-mcfarlane-1960-2023/ 2023年6月1日閲覧。 


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