ベアトリクス・シューバ ベアトリクス・シューバの概要

ベアトリクス・シューバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 03:08 UTC 版)

ベアトリクス・シューバ
Beatrix SCHUBA
世界フィギュアスケート殿堂 2017
2011年
選手情報
別名 トリクシー・シューパ
生年月日 (1951-04-15) 1951年4月15日(71歳)
代表国  オーストリア
身長 1.70 メートル
引退 1972年
指導者情報
元役職 オーストリアアイススケート協会会長
大会成績
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
オリンピック 1 0 0
世界選手権 2 2 0
欧州選手権 2 1 2
合計数 5 3 2
国内大会 1 2 3
オーストリアフィギュアスケート選手権 6 0 0
フィギュアスケート
オリンピック
1972 札幌 女子シングル
世界選手権
1969 コロラドスプリングス 女子シングル
1970 リュブリャナ 女子シングル
1971 リヨン 女子シングル
1972 カルガリー 女子シングル
欧州選手権
1968 ヴェステロース 女子シングル
1969 サンクトペテルブルク 女子シングル
1970 ウィーン 女子シングル
1971 チューリッヒ 女子シングル
1972 イエテボリ 女子シングル
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経歴

1967年からオーストリア選手権で6連覇。1968年グルノーブルオリンピックに出場し5位。 1971年、1972年ヨーロッパフィギュアスケート選手権世界フィギュアスケート選手権で優勝。 1972年札幌オリンピックで金メダルを獲得。同年引退しプロフィギュアスケーターとなる。[1]

2002年から2006年までオーストリアのアイススケート協会の会長を務めた[2]

規定問題

1972年当時、フィギュアスケートのシングル競技はコンパルソリーフィギュア(規定)とフリースケーティング(フリー)しかなく、ベアトリクスは規定を得意としていた。1972年の札幌オリンピックで、ベアトリクスは規定で1位、フリーで7位となったが金メダルを獲得する。カナダのカレン・マグヌセンとアメリカのジャネット・リンはともにフリーで2位と1位であったが得点比重の大きかった規定で出遅れたことが響き、総合でカレンは銀メダル、ジャネットは銅メダルに終わった。

このことがきっかけとなり翌1973年シーズン、規定の比重を下げることを目的として規定とフリーの間にショートプログラムを導入するに至った。のちに規定は1991年シーズンをもって男女シングルから完全に廃止された。

主な戦績

大会/年 1966-67 1967-68 1968-69 1969-70 1970-71 1971-72
オリンピック 5 1
世界選手権 9 4 2 2 1 1
欧州選手権 5 3 3 2 1 1
オーストリア選手権 1 1 1 1 1 1

  1. ^ Trixi Schuba 実績 Archived 2011年3月16日, at the Wayback Machine.
  2. ^ Trixi Schuba 経歴 Archived 2011年3月15日, at the Wayback Machine.


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