ベアトリクス・シューバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 03:08 UTC 版)
ベアトリクス・シューバ Beatrix SCHUBA |
大会成績 |
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経歴
1967年からオーストリア選手権で6連覇。1968年グルノーブルオリンピックに出場し5位。 1971年、1972年ヨーロッパフィギュアスケート選手権と世界フィギュアスケート選手権で優勝。 1972年札幌オリンピックで金メダルを獲得。同年引退しプロフィギュアスケーターとなる。[1]
2002年から2006年までオーストリアのアイススケート協会の会長を務めた[2]。
規定問題
1972年当時、フィギュアスケートのシングル競技はコンパルソリーフィギュア(規定)とフリースケーティング(フリー)しかなく、ベアトリクスは規定を得意としていた。1972年の札幌オリンピックで、ベアトリクスは規定で1位、フリーで7位となったが金メダルを獲得する。カナダのカレン・マグヌセンとアメリカのジャネット・リンはともにフリーで2位と1位であったが得点比重の大きかった規定で出遅れたことが響き、総合でカレンは銀メダル、ジャネットは銅メダルに終わった。
このことがきっかけとなり翌1973年シーズン、規定の比重を下げることを目的として規定とフリーの間にショートプログラムを導入するに至った。のちに規定は1991年シーズンをもって男女シングルから完全に廃止された。
主な戦績
大会/年 | 1966-67 | 1967-68 | 1968-69 | 1969-70 | 1970-71 | 1971-72 |
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オリンピック | 5 | 1 | ||||
世界選手権 | 9 | 4 | 2 | 2 | 1 | 1 |
欧州選手権 | 5 | 3 | 3 | 2 | 1 | 1 |
オーストリア選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
- ^ Trixi Schuba 実績 Archived 2011年3月16日, at the Wayback Machine.
- ^ Trixi Schuba 経歴 Archived 2011年3月15日, at the Wayback Machine.
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