ブライアン・バリントン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 09:49 UTC 版)
経歴
プロ入り前
1999年MLBドラフト37巡目(全体1111位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名されたが拒否し、ボールステイト大学へ進学。
パイレーツ時代
2002年MLBドラフト1巡目(全体1位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、10月30日に入団。
2003年、A級ヒッコリー・クローダッズ、A+級リンチバーグ・ヒルキャッツでプレー。
2004年、AA級アルトゥーナ・カーブでプレー。26試合に登板し12勝7敗、防御率4.10だった。同年のオールスター・フューチャーズゲームに選出された[2]。
2005年、AA級アルトゥーナで開幕を迎え、5月にAAA級インディアナポリス・インディアンスへ昇格。17試合に登板し9勝5敗、防御率3.28だった。9月16日にメジャー初昇格を果たし、9月18日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。1点リードの3回表2死から2番手として登板し、1.1回を投げ1安打2失点1四球1奪三振だった。10月17日に故障した右肩の手術を行った。
2006年、手術の影響で全休した。
2007年、AAA級インディアナポリスで開幕を迎え、26試合に登板。11勝9敗、防御率4.00だった。9月4日にメジャー昇格し、5試合に登板した。
2008年、5月23日にメジャー昇格する[3]も、登板のないまま6月13日にAAA級へ降格した[4]。7月3日にDFAとなった。
インディアンス時代
2008年7月10日にウェーバーでクリーブランド・インディアンスに移籍[5]。9月8日にメジャー昇格し[6]、3試合に登板した。
ブルージェイズ時代
2008年10月24日にウェーバーでトロント・ブルージェイズに移籍[7]。
2009年、AAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、4月23日にメジャーへ昇格した。4試合に登板し、5月6日にAAA級へ降格した[8]。オフの10月7日にFAとなった。
ロイヤルズ時代
2009年11月24日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[9]。
2010年、8月15日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初勝利を挙げた。この年は13試合に登板し1勝4敗、防御率6.12だった。オフの11月24日に放出された。
広島時代
2010年12月7日に広島東洋カープと契約を結んだ[10]。
2011年、4月14日の阪神タイガース戦で8回を無失点で初登板初勝利すると[11]3試合目の登板となった4月29日の中日ドラゴンズ戦では7回まで無安打に抑え、2安打完封勝利を挙げる[12]。さらに5月5日の横浜ベイスターズ戦では7回を1失点に抑え、球団史上初の開幕4連勝を達成[13]。5月13日の読売ジャイアンツ戦で黒星を喫し、開幕5連勝はならなかったが、4月はリーグ最多の3勝0敗、防御率1.96、同じくリーグトップのWHIP0.87の成績を残し、5月10日にはセ・リーグの4月月間MVPを受賞した[14]。 最終的にチームトップとなる13勝を挙げ、200イニングをクリアしQS率は80% 防御率2.42と好成績を残した。
2012年、1年間先発ローテを守ったが、7勝14敗と大きく負け越した。しかし、ピッチング内容は悪くなく、味方打線に泣かされる試合が多かった(29試合に登板し、うち15試合で援護点が0点だった)。
2013年、前田健太がワールド・ベースボール・クラシックの疲労もあったことから、初の開幕投手を務めた。前半は昨年同様味方打線の無援護に泣かされるものの、後半は逆に崩れながらも、援護により、負けが消えるケースも目立つようになる。8月以降は前半終了時から防御率は大きく悪化したものの、無敗の7連勝を記録した。9月19日の阪神戦で通算30勝目を挙げ、ネイサン・ミンチーが持つ通算29勝の球団歴代外国人投手通算勝利数を更新した。9月25日の中日戦で7回を無失点に抑え11勝目、チームは16年ぶりのAクラスと初のクライマックスシリーズ進出を決めた[15]。9月は4戦4勝、月間防御率1.00の成績が高く評価され、10月4日に2013年9月度 月間MVPを受賞した[16]。クライマックスシリーズのファーストステージ阪神戦は10月13日の第2戦に先発、5回1失点で勝利投手となり[17]、チームのファイナルステージ進出に貢献した。
2014年、6月1日までに7勝(4敗)を挙げるも、打ち込まれる場面が目立つようになり、勝ち星が延びなかった。9勝止まりで防御率も4.58と安定感を欠き、終盤はデュアンテ・ヒースの加入もあり、二軍落ちした。12月2日、自由契約公示された[18]。
オリックス時代
2014年12月6日にオリックス・バファローズに入団することが発表された[19]。
2015年、2度の怪我に泣かされ、5勝に留まり、12月2日に自由契約公示された[20]。
ロイヤルズ傘下時代
2016年、米球界に戻り、カンザスシティ・ロイヤルズ傘下AAA級のオマハ・ストームチェイサーズでプレーしたが、その年限りで現役を引退した。
引退後
2017年、ミルウォーキー・ブルワーズの国際スカウトに就任した。
その為、現在でもNPBの試合や国際試合を視察するため来日し、一般客に混じっているところを目撃されることがある。
2020年、ボールステイト大学時代の功績を称えミッドアメリカン・カンファレンスの殿堂入りを、果たした[21]。
- ^ [1]
- ^ 2004 Futures Game rosters MLB.com
- ^ Pirates recall Bullington, demote Salas Pittsburgh Post-Gazette
- ^ Pirates recall Salas, option Bullington to minors News OK
- ^ Bullington claimed, sent to Triple-A MLB.com
- ^ Indians promote RHP Bryan Bullington from Triple-A MLB.com
- ^ Blue Jays claim Bullington MLB.com
- ^ Jays send Burres, Bullington to Triple-A MLB.com
- ^ Royals agree to minor league contract with pitcher Bryan Bullington MLB.com
- ^ ブライアン・バリントン選手と契約合意! 広島東洋カープ公式サイト
- ^ 広瀬2ラン、バリントン好投で広島、今季初勝利スポーツニッポン 2011年4月14日付記事
- ^ 広島・バリントン完封!初登板から3戦3勝サンケイスポーツ 2011年4月30日付記事
- ^ さすが!バリントン、広島助っ投初の開幕4連勝 スポーツニッポン 2011年5月6日付記事
- ^ 日本に来て良かった…バリントン ブロス以来3人目快挙スポーツニッポン 2011年5月10日付記事
- ^ 2013年9月25日 【公式戦】 試合結果 (中日vs広島東洋) | NPB.jp 日本野球機構
- ^ 2013年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 | 表彰選手 | NPB.jp 日本野球機構
- ^ 2013年10月13日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs広島東洋) | NPB.jp 日本野球機構
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ 新外国人選手獲得のお知らせ オリックス・バファローズ
- ^ 2015年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト。
- ^ “元広島バリントン氏、大学時代の功績を称え殿堂入り「一員になることを誇りに」(Full-Count)”. Yahoo!ニュース. 2020年10月4日閲覧。
- ^ 気になるあの投手たちの持ち球CHECK!『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、35-39頁。
- ^ 『月刊スラッガー』2002年8月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-8、69頁。
- ^ FanGraphs Bryan Bullington PichFX
- ^ “バリントン 虎巨竜007ビビらせた!”. (2011年2月12日)
- ^ 東京中日スポーツ・2011年7月12日付 4面
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
バブルス・ハーグレイブ ジョニー・ペスキー ブライアン・バリントン グレッグ・マダックス ジム・トレーバー |
広島東洋カープ及び広島カープの選手 |
天谷宗一郎 小野幸一 ブライアン・バリントン 坂井豊司 達川光男 |
クリーブランド・インディアンスの選手 |
チャック・フィンリー ルイス・ビスカイーノ ブライアン・バリントン アル・ローゼン ジェーソン・ジョンソン |
ピッツバーグ・パイレーツの選手 |
モーリー・ウィルス ホセ・ギーエン ブライアン・バリントン デビッド・ホステトラー パイ・トレイナー |
トロント・ブルージェイズの選手 |
ムーキー・ウィルソン ロイド・モスビー ブライアン・バリントン ルイス・アキーノ ロイ・ハラデイ |
カンザスシティ・ロイヤルズの選手 |
ロベルト・ヘルナンデス ホセ・ギーエン ブライアン・バリントン ルイス・アキーノ ランディ・バース |
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