ビアトリクス・ポター 人物

ビアトリクス・ポター

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人物

ビアトリクス・ポターと父ルパート、弟バートラム(1894年撮影)

家族関係とプライバシー

ポターは母親とはその最期まで疎遠な関係であったが父親との関係は良好であった[128]。父のルパートは若い頃、法律の勉強の合間に気晴らしで絵を描くなど絵画にも強い興味を持っており、幼いころのポターに影響を与えたと思われる[129][130][131]。弟のバートラムは幼いころは遊び相手として、また結婚を後押ししてくれた大事な家族であった。弟が姉より先に死んでしまったことについて、その悲しみをローンズリーへの手紙でつづっている[91]。ポターは独立心が強く、親に縛られていた時期は陰鬱とした生活だったようで[132]、ポターは後年になって生家のことを「私に愛されたことのない生家」と呼んでいる[1]。抑圧された生活の中でポターは数々の名作絵本をつくりだしたが、結婚して独立してからはヒーリス夫人と名乗り、他人からもそう呼ばれることを望んでおり、猪熊葉子は「ビアトリクス・ポターの名前を惜しげもなく捨てた」と表現している[133][134]。マーガレット・レインはただ名前が変わったのではなく、両親から自立し別の人間になったことの証だろうと述べている[135]

ポターはプライバシーを守ることに関しては徹底した人物であった。マーガレット・レインがポターの伝記の執筆許可を得るため手紙を書いたときは非常にそっけない返事が返ってきたという[136]。ポターの死後、改めて夫のウィリアムに連絡を取ったレインは、ウィリアムは伝記の執筆を許可することが妻への裏切りになると考えているようだったと述べている[137]。近所に住んでいたものの話では、ニア・ソーリーの家には隠し階段があり、好奇心で自分に近づく人間が玄関に来ると、隠し階段から逃げ出していたそうである[138]。ナショナル・トラストへの寄付も匿名で行っていることが多く、手違いにより寄付者の名前が公表されてしまったときなどは、不快感をあらわにしている[139]。ポターの遺灰は羊飼いのトム・ストーリーによってヒル・トップ農場に撒かれたが、その場所は秘密とされ、たとえ夫のウィリアムであっても教えてはならないと言いつけている[140]

読者との関係

ポターはイギリスの批評家とはほとんど手紙のやり取りをしたこともなく、アメリカの友人に宛てた手紙では、アメリカと違いイギリスでは児童文学が軽く見られていると書いている[141]。アメリカからファンが来訪すると喜んで迎えたが、詮索好きなイギリス人に対しては敵のように追い払うという評判まであった[142]。『カルアシ・チミーのおはなし』はアメリカの読者を喜ばせるために書かれ、イギリスに存在しないクマやアメリカ灰色リスが登場する[143][144]

ポターは筆まめな人物で知人やファンの子どもたちに多くの手紙を書いている。『ピーターラビットのおはなし』は手紙に書いた話から生まれたが、他にもいくつかの作品が手紙でのやりとりから生まれている[145]。ジェーン・モースの『 Beatrix Potter's Americans 』(Horn Book, 1982) や、ジュディ・テイラーの『 Beatrix Potter's Letters 』 (Frederick Warne, 1989) には、そうしたたくさんの手紙が収められている。テイラーが Beatrix Potter's Letters を執筆するにあたって収集した手紙は1,400通あまりであった[146]。これだけの数の手紙が保存されていた理由には、電話のない時代であり、ポターが手紙を書くことを好んだのも一つの理由であるが、受け取った人間が大切に保存するほどポターの手紙が魅力的であったことも大きい[147]。後述するようにポターが子ども嫌いだったかについては議論があるが、さくまゆみこは「子どものことを相当好きでなければここまでは出来ないだろう」と述べている[148]

ポターには子どもがいないため、子どもが嫌いだったとよく言われていた[19]。当時子どもだった近所に住んでいた女性は、飛んでいったボールを取ろうと石垣をよじ登っていたところ、「おてんば娘!」と叱られた話を紹介している[149]。また別の男性は「特定の子ども、特に女の子しかかわいがらなかった」と述べている[150]。都市部からキャンプにやって来るガールガイドには優しかったようで、こうした違いを伝農浩子は、しつけの良くない村の子には厳しく、ポターと同じ窮屈な環境で育った子には優しかったのではないかと述べている[149]。一方、ヒル・トップ農場を購入してから1年ほど経った頃に執筆された『こねこのトムのおはなし』の献辞[注釈 9]は「すべてのいたずら坊主に―特に、わが家のへいの上にとびのるいたずら坊主たちへ」と近所の子どもたちへ捧げられている[151][152]。この本は、やんちゃな子猫たちとそれを行儀よく振舞わせようとする母ネコが登場し、言う事を聞かない子猫たちのせいで母ネコが恥をかく話である。吉田新一は、ポターは子どもというものは大人の言う事を聞かないものだと分かっており、作中でも母親の振る舞いを諷刺して笑いものにしているのだから、やはりポターは子どもの味方だろうと述べている[152]。伝農も、自分と違い自由に飛び回る子どもたちに、ポターはうらやましく思いながらもどう接していいか分からず、厳しい態度に出てしまったのかもしれないともしている[149]。また、ポターは子どもたちの期待を裏切らないためにウサギを常に飼っていたという[153]

自然・動物との関わり

ポターは幼い頃からウサギ、ハツカネズミ、ハリネズミ、リス、カエル、トカゲ、ヘビ、カメ、コウモリなど、ちょっと変わったものまでペットとして飼い、よく観察しスケッチに残している[154]。こうしたペットたちを非常に可愛がり、ハツカネズミのハンカ・マンカがシャンデリアから落ちて死んだときは、「自分の首が折れた方が良かった」とまで言っている[155]。こうした動物たちへの愛情とは別に農場経営者の顔も持ち、動物たちを出荷する時期が来ると、非情ともいうべき態度で動物たちの選別を行ったという[156]

親しくしていたローンズリーが共同設立者であったことから、設立間もないナショナル・トラストには生前から積極的に支援を行っている。ニア・ソーリーは生前にポターによって多くの土地が購入されており、死後ナショナル・トラストに寄贈されたため、当時の風景が保存されている[98]。1929年には4000エーカーの土地が売りに出されたが、ナショナル・トラストは世界恐慌のため寄付が集まらず資金不足に陥っていた。ポターはナショナル・トラストに寄付するため、これを一括で購入している[157]。また、文化の保全にも尽力し、廃れていたカントリーダンスが再流行するきっかけもポターにあったという[158]。死後はその遺言により4000エーカー以上の土地をナショナル・トラストに寄贈している[159]。ポターは『まちねずみジョニーのおはなし』にもあるとおり、都会よりも田舎を好んでおり[160]、ポターにとって都会であるロンドンは「束縛の象徴」であり、ニア・ソーリーは「人格的独立の象徴」であったと猪熊葉子は考察している。またポターの自然保護運動は、幸せな結婚生活と創作活動を支えたかけがえのない場所を守る行動だったと述べている[161]

実業家

ポターはピーターラビットの関連商品を提案したり、積極的に著作権の管理に関わるなど実際家としての一面も持っていた。当時はやっと女性の社会進出も始まったころであり、ポターのように商取引に自ら乗り出して交渉事を行う女性は滅多に存在しなかった[162]。ウォーン社と『ピーターラビットのおはなし』の出版契約を結ぶときには、版権がどちらに帰属するか、自ら確認を行っている[163]。また、弁護士であった父の名前を出しながら交渉に当たっており、暗に誤魔化しが利かないことを仄めかしている。ただし、父ルパートは弁護士の実務をこなしたことがなく、ポターが商売に携わることにも反対であっただろうと思われる[164][165]。『ピーターラビットのおはなし』が発売されて2年後の1903年には、ポターは人形の販売を提案し、試作品を自らの手で作り上げている[166]。この時は製造業者が見つからず販売までは至らなかったが[166]、ロンドン特許局に意匠登録も行っている[167]。他にもピーターラビットのボードゲーム、陶器、壁紙、文房具、ハンカチなどさまざまな商品化を企画している[168]。商品化にあたっては常にポターが主導権を握っており、ポターは女性企業家のパイオニアだったと評価する声さえある[132]


注釈

  1. ^ 本記事に記載のあるビアトリクス・ポターの作品のうち、『ピーターラビットの絵本シリーズ』に含まれる作品のタイトル、およびその作品に登場する動物たちの名前の日本語表記は、すべて福音館書店版(2007)『ピーターラビット全おはなし集』に準拠する。
  2. ^ ウォルター・バートラム・ポター(1872 - 1918)。彼も姉と同様にファーストネームが叔父と同名であったため、セカンドネームのバートラムまたはバーティと呼ばれた[5]
  3. ^ 大和田(2005)および吉田(1994)によれば14歳からであるが[17][18]、吉田は訳書であるテイラー(2001)のあとがきでは15歳としている[19]。また初期から手馴れた筆跡であることから、もっと以前から練習していた可能性もある[20]
  4. ^ ビアトリクス・ポター 絵 ; アイリーン・ジェイ, メアリー・ノーブル, アン・スチーブンソン・ホッブス 文 著、塩野米松 訳『ピーターラビットの野帳』福音館書店、1999年。ISBN 4-8340-1582-3 
  5. ^ W P K Findlay; Beatrix Potter (1967). Wayside and woodland Fungi. Wayside and woodland series. Frederick Warne. ISBN 0723200084 
  6. ^ 小型本にこだわった理由として、三宅興子はポターのミニチュア趣味もあったのではないかとしている[55]
  7. ^ 代表作は『からすのジョーニーの庭』『金のがちょうのほん』など。
  8. ^ 『イギリスを旅する35章』のように悪性貧血とされる場合もある[74]
  9. ^ 日本語版には存在しない。
  10. ^ 1994年当時の為替相場は1ポンドおよそ156円[179]
  11. ^ 『ピーターラビットのおはなし』では最後にカミツレの煎じ薬(英語ではカモミールティー)を飲ませているが、これはピーターの体調が悪かったためでお仕置きではない。しかし、このくだりの印象は非常に強く、英語圏の読者には大人になってもカモミールティーが飲めない人がいるという[213]
  12. ^ 当時の典型的な服飾についてはヴィクトリア朝の服飾を参照
  13. ^ 1908年に『ねこまきだんご (The Roly-Poly Pudding) 』として出版され、1926年に『ひげのサムエルのおはなし (The Tale of Samuel Whiskers) 』へと改題された[236]
  14. ^ 日本ではピーターラビットの絵本シリーズに含まれる[237]

出典

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